読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

人にご馳走されるとき ←側のポジションをとることは、お約束事化しています


私たちの社会には上座下座というものがあります。

立場が上のものが着く位置、下のものが着く位置のことであり、

簡単に言ってしまうなら、
家の奥でより暖かい場所が上座、入口に近くて寒い場所が下座です。

また、掛け軸、庭、マントルピースなど、オーラを背負っているように見える目立つ場所も上座になります。


上座下座についての細かい点には諸説入り乱れていますので、この二点だけに気を付けていれば実生活上ほぼ問題は起こりません。


また、日本の古典舞台劇には、上手下手がありますが、
それは舞台演劇における、上座下座と私は考えております。

舞台むかって左側に通路と入口があり、そちらが下手、奥の方が上手。


では、舞台演劇ではなく、映画やテレビドラマにも上座や上手があるのか?という事ですが、
非常に興味深いことに、かなりねじくれた形ですが、あるのですね。

まず、上座下座に関しましては、封建的なルールに縛られた旧家の日本間を描く場合、必然的に出てきます。

ごちそうさん

実際大阪の旧家でご飯を食べるときにどのように席が決まるのかは知りませんが、
ごちそうさん』では、厳然とした席順のルールが見られます。


義理の姉、義理の母の席は座敷の方を背にしており家の奥で上座、義理の妹と主人公の席はより入口に近く下座

義理の妹のお見合いのシーンでも同様のルールが履行されています。



これは、主人公の東京の実家の席順と比べると、かなりの違いが見られます。
実家のレストランの名前が開明軒というくらいですから、進取の気性に富んだ家庭という設定なのでしょう

調理場に近い席が調理担当の母親の席であり、その周りに調理の手伝いをするはずの女子が席をとる。
調理場から遠い席が家族の食事を作ることのないはずの父親そして男性の席
 それ以外の席順に関しては、かなり柔軟であり、

封建的秩序というよりかは、実用性の高い合理的な席順のように思われます。

このような席順の柔軟な在り方については、足の短いテーブルである卓袱台ゆえの必然なのかもしれません。


九州出身で、封建的と言われることもあるサザエさんの食卓ですが、

ごちそうさん』の東京の実家と同様のルールで席順が決められているのが分かります。



舞台演劇と比べると、リアリズムの度合いの強いテレビドラマですが、それでもたいていの場合は、セットは片側しか作られておらず、開放された壁には、照明録音機材カメラなどが並びます。
こうしてみると、テレビドラマのセットも舞台演劇のセットも大体同じなのですが、

それゆえ、主人公がご飯を食べているときには、画面の右側にいるか、左側にいるかが、たいていの場合強制的に決まってしまうことになります。

つまり、杏は西門家でご飯を食べているときは、必ず むきである、というルールが『ごちそうさん』には存在しているという事です。



また、西門家のセットでは、入口が画面の向かって右
これだと伝統的舞台の上手下手とは逆になります。

それに、画面の向かって右から左に向けて、席順の序列が上がっていくわけでして、

この点から、西門家のセットを考えるなら、能や歌舞伎の舞台とは全く逆になります。


ただ、映画やテレビドラマの画面上の立ち位置の特徴というのは、物語を進展させる役(いわば主人公ですが)が画面の向かって右側に陣取るのが基本であるという点でして、

主人公は社会的立場や序列が下であってもまったくかまいません。
ただ、物語推進の原動力であればいいのです。


なぜ、主人公が画面の向かって右側に位置するのかというと、
物語は、方向に進むのが日本では通常であり、
主人公は物語の進む方向を向いているのが必然となるわけです。

より詳しくは こちら「映画が抱えるお約束事」をどうぞ


そういう観点から『ごちそうさん』の食事風景を見直してみますと、

義妹の台詞に義母と義姉の「陣取り」という言い草がありましたが、
画面上で陣取りをしているのは、実は主人公と義姉であるのですね。
物語上の、弟の嫁を家の門の外に追い払いたいという願望と、家の座敷の上座に座って祝言を上げてもらいたいという願望の対決が、そのまま図形的に画面上に表現されています。

主人公の友軍は義妹であり、一見友好的に見える義母はどちらかというと足を引っ張る存在です。
そして、旦那はというと、実のところあんまり頼りにならない存在。


そして、このように「テレビ画面上の上手下手」と現実の上座下座が一致しないセットというのは、
社会的に立場上のものが主人公の目的達成をぶろっくするという画面構図を作り出しやすいゆえ、
必然的に衝突摩擦の温床となるわけでして、
ごちそうさん』では、西門家のセットというのは葛藤のてんこ盛りなわけです。

その反面、「画面上の上手下手」が現実世界の上座下座に重なった時には、(少なくともわれわれ日本人にとっては)有無を言わせぬ力強さと説得力を画面が見せることになります。

画面向かって右側から左に向けて序列の高いものが並ぶ。

①神仏
②義姉
③主人公夫婦

神仏に祈るシーンでは と親和性が高い。
あまちゃん』では仏壇神棚に祈るシーンはすべて方向でした。

(「神仏に祈るときは 」と、こんな風に定型化した画面の左右の構図のことをわたし的に「お約束事」と呼んでおり、この「お約束事」を見つけることそして、そこから映画のテーマを考察することをこのブログの主目的に設定しております)





まあ、おそらくは、主人公は、家庭の食事の場を立て直すことにより西門家の問題を解決することになるのだろうと私は予想していますが、

ここで、ひとつ『ごちそうさん』の典型的な食事のシーンをどうぞ。

近藤正臣演ずる西門の父が主人公に料理をふるまうシーン。

入口は側ですが、来客を畳の上にあげて自分は手際よく料理しています。

ここで、彼のあけっぴろげで気のいいところが描写されているのですが、

現実の実感的には、主人公の立ち位置は家の奥側ですから上座なのですが、物語を進行させる「画面上の上手」ではないのですね。

しかし、ご馳走をふるまわれるときには、主人公は側に配置されています。

ご馳走されることが物語の進展と深く結びついている、
「人からご馳走されることで相手の心の温かさを受け取り、それを別の人にも伝えていく」そういう意味を込めて、ここで画面の左右の位置を転換させるのでしょう。

だから単にご飯を作ってもらっただけでは、食べている人は、方向を向いたまんまです。




最近の日本の映画、テレビドラマでは、
人にご馳走されるとき 側のポジションをとることは、お約束事化しています

あまちゃん』 第二話

ばっぱから口にウニをねじ込まれるシーン

ハードナッツ』第五話


男に手料理ふるまったら、まずいと言われた。
そんで、男が料理を作り直したのを食べたらうまかった。

こういうシーンを見慣れてくると、どちらが作った料理かが、画面上のポジショニングだけからわかるようになってしまう。



どれとは言いませんけど
こういう左右の構図の「お約束事」を全体の流れと関係なくとってつけたように組み込んでいる作品には、わたしは何ら魅力も感じませんし、知性も感じません。

でも
ごちそうさん』に関していうなら、ストーリーはベタな展開ではありますけれど、ちゃんと見ることのできる作品に仕上がっているといえます。