ウニを一つも採れずにいるアキちゃんが、安倍ちゃんの影武者行為で、観光客を欺いていたんですが、
遠くからやって来て「将来はアキちゃんみたいな海女になりたい」という子供に、その業務秘密をカミングアウトしてしまうシーン。
そのシーン覚えています?あまちゃん好き公言するような人だったらきっと覚えているでしょう。
そのシーンで女の子は何色の服を着てたか覚えています?たぶん覚えていないでしょう、だれも。
そのシーンで、アキちゃんはスプーンを使うかそれとも指で食べさせてあげるのか?だれも気にしていなかったんじゃないですか?
そのシーンは、そもそもいくつのカットをつなげた場面だったのでしょうか?ほとんどどうでもいいことに思われるでしょう?
そして、一度立ち止まって考えてみてください。
そしたら、映像作品見ることって、私たちにとってはどういうことなんでしょうか?
ストーリー辿ることってそんなに重要なことなんでしょうか?ストーリー知りたいんだったら、それこそネタバレでネット検索すれば済む話じゃないでしょうか?実際それで満足している人もたくさんいるようですけれども、
平均的な観客というのは、いったい何見てるんでしょう?そして何を見なかったことにしてるんでしょう?
上述のウニとりの影武者をカミングアウトするシーンです。
基本的に日本では、映像作品の画面はこのように構成されます。
物語が ← 方向に進みますので、主人公は向かって右側にいるのが普通です。
そして、主人公が→側に位置するのはどういうときか、に注目するのがこのブログの趣旨なのですが、
『あまちゃん』の場合に顕著なのは、他者を受け入れるときには場面のイニシアチブを握る人が←のポジションを譲りますし、人をもてなす場合にも←のポジションを譲ります