映画の見方  三秒ルールについて

人間は、三秒までなら、どんな画面でも退屈せずに見ていられる、
それが、三秒ルールです。



まずは、こちらの動画をご覧下さいませ。
Mickey Mouse - Musical Farmer (1932)

非常に古い作品です。
そして、人によっては面白いと思われる場合もあるでしょうけれども、
大方の人にとっては、この作品を見ることは拷問と同じくらい退屈ではないでしょうか?

なぜかというと、ワンカットあたりの時間が7秒から8秒と長いからです。

現在では、複雑な動きを伴わないカット、複雑な演技を伴わないカットの場合は、三秒以内で切られ、次のカットにつなげられます。


何かとあわただしい昨今と違い、昔は、悠長だったから、ワンカットも長かったと思われる方もいらっしゃるでしょう。

事実、昔の映画には、今の映画と比べて時間の長いカットが多いです。


しかしながら、この80年前のアニメにしたところで、テンポがよくなってくる五分目あたりからは、ワンカット3秒程度で構成されるようになります。
複雑な情報を提示しないカットは、3秒あれば十分内容を理解することができて、
それ以上の時間をとることは冗漫である、というの人間の知覚能力の基本的属性であるのは、ずっと以前から業界の人たちは分かっていたのでしょう。




Mickey's New Car (1999)

比較的新しめのミッキーマウスです。
三秒ワンカットを基本として、
情報の多めものカットは長めに、少なめのカットは短めに、という方針で構成編集されているのが、容易にわかります。



アニメの場合ですと、絵をかいてつなげるだけですが、
実写の場合ですと、カットを区切るごとに、カメラを移動し、照明機材を動かし、セットの具合をチェックし、休憩時間が入り…とややこしいことが多いです。

『鳥』 ヒッチコック監督

ワンカット3秒が基本であり、それ以上長いと、何か重要な情報が映っているという気がしてきます。
そういうサブリミナル的な技法でしょうか。


また、現代のテレビCMなどを見ていますと、一秒程度のカットをいくつも組み合わせるような映像がいくらでもありますが、
三秒以下のカットになると、見ている人が画面上の情報をちゃんと読み取れない、それゆえに、見落とした部分がサブリミナル化して、無意識的で漠然としたイメージを心裡に形成することになっているのかもしれません。


漠然とした印象というのは、細部を正しく見ていないし、分析的にも物事を見ていないにもかかわらず、
好きとか嫌いとかの感情に対応しやすい綜合的なものです。

だから人がちゃんと見ずに漠然と近く知覚する画面の周辺部、
それは人の無意識の領域にほぼ一致しているのでしょうが、
そこに不安とか興奮とかの情報を紛れ込ませてやると、
結構簡単に、人の気持ちを操作することができます。


あまちゃん

時間の限られたテレビドラマ、
CMが入るまでの十分ちょっとの中で物語の起伏を作り、CM後も視聴者にチャンネルを変えさせないようにするには、どうしても短いカットをつないでいく手法が主流になります。
あまちゃん』では、一回当たりの放送時間が正味13分弱。ほとんどのカットが三秒以内で構成されます。

大まかなストーリーは、誰にでもわかるのですが、

画面細部の造りこみが緻密で、なおかつ見る人の視線を特定の場所に誘導しようとあまりしていない画面なので、
必然的に多くの部分を見落とすことになってしまいます。

見落とした部分がサブリミナル的に、見た人の印象をあらかた決めてしまっているというのはありますし、
また、
何べんも繰り返してみないとよくわからないという性質が『あまちゃん』にはあります。



『告白』

特に橋本愛のシーンに注目してみていますと、彼女のシーンはすべて3秒以下のカットで構成されており、
撮影時間の比較的長い映画の場合でしたら、
極端な話、三秒間演技ができればそれでいいわけです。
この時橋本愛は14歳ですから、仕方ないのでしょうけれども、
というよりも、子供に暗い役演じさせることに私は賛成できないので、
技術的に、こういうのはごまかしてしまうのが正しい在り方だと思っているのですが、

映画の場合、役者は演技しなくても演技しているように見せることは十分可能なわけです。

逆から言うと、三秒間じっと見ていられる華のある人、というのが映画スターの第一条件なのかもしれません。