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もの食う人の描写 グルメマンガ 『あまちゃん』

かつての日本の小説家は、食い物と温泉のことばかり書いてまして、
よその国でも、似たようなものだろうか?いやいや、温泉は日本固有の事情だから別として、
プロテスタント文化圏の作家が食い物についてこだわっていたわけない、と思うのですが、

その伝統なのでしょうか、日本にはやたらとグルメマンガが多い。

マンガで食い物の絵を眺めて、何がそんなに楽しいのだろう、味はないし、においもない、口膣で感ずるぬくもりもなければ、
第一色彩がない、しかも実物とは異なる手書きの絵では正に、絵にかいたメシ。

何が面白いのか?等とときどき考えたりするのですが、




まず、マンガというもの、ページを繰っていきますので、進行方向は、映像作品よりもはっきりと目につきます。

ミノタウロスの皿』 

日本のマンガでは、主人公は基本的に 方向に進みますし、


各コマごとの登場人物のポジショニングは、この図のようになります。


グルメマンガを読むことで、読者は何を食っているのか?
という問いに、
そりゃ、情報だろ!と即答できるのが、『美味しんぼ

美味しんぼ

元々が、無頼風の男が成金と味対決をするという、剣豪小説の系譜に連なるマンガです。

この回では、社長の幼馴染の関西財界の大立者に東京のスッポン料理をふるまってギャフンと言わせます。

山岡が主人公で物語のイニシアチブを握るのが基本ですから 彼が 
その敵対者の関西の財界人が 
が基本です。

そして、何をきっかけにその向きが転換するかが、物語の起伏に対応しているのですが、

美味しんぼ』の場合、この向きの転換が起きるのは、

「むっ、うまい、何を出汁に混ぜたのか?うっうっ梅干しか!」というような場合です。

敵役が、うまいと思った瞬間に、向きが変わるのが『美味しんぼ』の世界のルールです。
この点に関しては、美味しんぼの登場人物はみんな素直です。
嘘をついてまで、自説をごり推そうとは絶対しません。


しかし、ご馳走という言葉の意味、
人を食事でもてなすために、あっちこっち駆けずり回って食材を仕入れ、てんやわんやして料理するという意味でして、

そのことを考えると、
多少まずかろうとも、ごちそうしてくれたことだけに対してでも、人はちゃんと感謝すべきだし、感激することもできるはずではないでしょうか。

そういえば、山岡も海原雄山も「いただきます」とか「ごちそうさま」とはいわない人たちです。

旨かった時だけ、左右がひっくり返るというのは、
美味しんぼ』の殺伐とした世界観がよく表れているような気がします。



『ラーメン才遊記』

美味しんぼ』と比べても、絵が下手です。対象料理もラーメンの単品ですから、その点では深みのないマンガですけれども、
美味しんぼ』が料理の写真をコピーして貼り付けた絵に過ぎないのに対し、
こちらのマンガでは、ラーメンの絵で状況や人物の心理を説明しようという意志が見えます。

また、登場人物の向きがいつひっくり返るかについてですが、
こちらのマンガでは、カウンターにラーメンがのせられた時をタイミングにして、ひっくり返ることが多いです。

とりあえず、食べ物が供せられたら、感謝の念を示すというのは悪いことではありません。



『たべるダケ』

グルメマンガが読者に何を食わせているのか?という問いに、
登場人物の食う悦びに共感させることで、食う喜びのおすそ分けをしている、という発想は、多くのマンガがもっていますし、時折『美味しんぼ』でさえもやっています。

そして、その手法の極北というべきなのが、このマンガ。


どちらかというと取るに足りない問題を抱え悩む人のそばに、いつの間にかあらわれる空腹の美女。

その美女、ただ ご飯を食べるだけ。

食う悦びを素直に表現しているほうが 
でありながら、
旨そうに食っている人の姿が、読者にとってのご馳走であるかのごとく、 の方向で供されたりもします。

単発アイデアの一点突破型マンガですけれども、ご馳走とは何なのだろう?と考えさせられます。





そして
日本におけるグルメマンガの流行の影響が、日本の映像作品の飯を食う描写に表れているような気がします。

『BUNGO 鮨 岡本かの子


鮨をつまんだ瞬間、食べる人の向きが へとひっくり返ります。

このことについて書いた回

カウンターに食べ物が供せられた時点で左右が反転するという事に関しては、
『ラーメン才遊記』と同じ発想です。



あまちゃん』第一話 井上剛
アキは食い意地が汚いという設定で、それが物語を進める要因だったりするのですが、
ばっぱからウニを食べさせてもらうシーンが二回あります。

そのうちの一回目。



『ウニとりババア?」


各コマごとの登場人物のポジショニングは、基本的にこの図のようになります。
どんな時に主人公が基本のポジショニングから外れるかが、ドラマの空気感や登場人物の無意識を表しているように思える、
そのように画面が更生されるのですが、

謂わば、画面の向かって右側が上手・上座で、
そこに相手を招き入れることが、他者を受け入れることの映像表現になっている訳です。



他者にご馳走することは、その人を客として丁寧いに扱うことであり、
まず、画面の上手・上座に受け入れる。

発想としては、カウンターの上にどんぶりが置かれたときに、人物の左右の向きが転換する『ラーメン才遊記』と同じことが行われているわけです。


単に、ウニを食わせているだけのシーンではなく、ぱっぱがアキをある程度まで受け入れたシーンであり、
アキが、ばっぱの地元に来ただけでなく、ばっぱの心の中のある位置まで上がりこんだシーンでもあるわけです。