出来ることでしたら、
『あまちゃん』映画の見方の理屈応用編①から読んでいただきたいものです。
第三話の船から突き落とされるシーンを、第四話でも繰り返します。
そして繰り返す際に、そのシーンを異なる当事者がどのように見ていたのかという観点で、少しずらした形になっています。
『あまちゃん』と『桐島、部活やめるってよ』は出演者何人も重なっていますから、意識していると言われないはずないでしょう。
春子さん目線もあるでしょうが、遠目で映すことで、アキとばっぱの位置関係を説明します。
第1〜3話で、実家への道のり → で描いており、
海も実家同様に帰る場所として描いていますから、当然 これは → 方向です。
それに対して、第四話
春子さん目線の カット。
突き落とされる娘の姿に、自分が子供時代に手荒く扱われた思い出が重なります。
←向き。
このシーンまで
帰郷の方向 →
東京の方向 ←
と、ずっと描いていますから
突き落とされる娘の姿に、
東京に家出する時に、引き留めてくれなかった親の姿が脳裏をかすめるのでしょう。
春子さんには見えませんから、アキ目線の画面のはずです。
そして、第三話のアキが飛び込むカットと方向がつながっている →方向。
そして、これが第一話からずっと向かってきたアキの最終到着点です。
わたしの場合、このカットつなぎの論理の知的さに感動します。
そして、こういう風に映像作品を見ない人は、なんとなく無意識に感動します。
それまで、画面の右と左を
帰郷の方向 →
東京の方向 ←
と示してきたのですが、
アキが海に突き落とされ、海の上に顔をだし、向きを変えたとき、
この、二方向の対立軸が画面からなくなってしまいます。
アキが ← の方向へ向かっても、もうその先に東京はありません。
その先に待っているのはばあちゃんです。
このシーンも春子さん目線だと、方向がすっきりしないのですが、
それでも、海が母のお腹の羊水とすると救命浮き輪のロープがへその緒に見えないでしょうか。
相変わらず、春子さんはいらだっていますけれども、
海に投げ捨てられ、東京に出るときに引き留めてくれもしなかった過去のイメージに、待った!がかかったようです。
春子さんはそのあと、パチンコ屋に戻りますが、さっきまでと違って、←。
パチンコ打っていますが、もう東京に帰ることは考えていないように見えます。
このように見ていきますと、一回目のアキの海への飛び込みは、自分の為ではなく、ばっぱと春子さんの為であり、
他の人のツラさ悲しさの禊の為に海に飛び込んでいるのですから、何回も海に飛び込まないとならなかったのでしょう。
ちなみに、パチンコ屋のカットの次に観光協会に場面が移ります
「いつまで待たせんだ、菅原 このっ。一か月前から何も進んでねえべ」
たんに杉本哲太のいらだちを示したカットのように見えますけれども、
恐らく、東京←→帰郷の二項対立が解消したことを暗に示しているようです。
画面は右と左の二方向しかないのですから、
帰郷の方向 →
東京の方向 ←
のまま物語を進めるのでは堅苦しくてやりようがありません。
だから、劇的なシーンを用意して、この単純な二項対立を破壊し、その次に来る物語の葛藤にバトンを渡します。
12話で東京に帰るか北三陸に残るかで、この二項対立が蒸し返されますけれども、
しばらくは、画面に分かりやすい対立軸がなくなり、ユルい感じがドラマを支配し続けます。