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『あまちゃん』  映画の見方の理屈の応用編 ③

あまちゃん&ちりとてちん

わたしは、公立中学二年生30人学級の上位7人くらいが分かるような文章を書くことをモットーとしているのですが、

今回の内容は、なるべくなら
当ブログの理屈について
この回を読んだ後に、読んでいただきたいのですし、出来ることなら『あまちゃん』  映画の見方の理屈の応用編 ①から読んでいただきたいものです。


文学について、行間を読むという言い草があります。
本当のこと言いますと、行間って、何も書いてありません。


それと比べると、映画って、カットとカットのつなぎの間に、ものすごい端折られた時間があります。
そして、これについては、「行間を読む」などというなまっちょろい言いぐさが適用できないくらいに、
強制的に、無意識に、その空白を読ませられるのが映像作品というもの。


第三話 井上剛監督

喫茶リアスに夏ばっぱがやってきたので、大吉さんに別の店に連れられてきたところ、
スナックリアスだったため絶叫する春子さん。

娘だけばっぱの家において、自分は駅前のビジネスホテルに泊まるのですが、
そういうことについて一切描かれません。

そして、この絶叫の次に続くのが、

夏ばっぱの平均的な一日。

そのまま、翌日の餅まきとウにとりにつながっていきます。

唖然呆然とさせられるカットのつなぎですが、ふざけた表現の裏に必ず悲しみがあるのが『あまちゃん』です。

そして、春子さんがパチンコしているカット。

なんでここで彼女がパチンコしているのかについては、何も説明されません。
わたしたちにできることは、絶叫した場面から、パチンコしている場面までの空白を無意識に読ませられることだけです。


ここ数回 『あまちゃん』の序盤では、春子アキの移動は、帰郷 東京に戻る、で示されていると書いていますが、

春子さんに着目すると、 向きの場合は、実家に向かっている以外に、東京に戻れない場合と東京に戻りたくない場合も含んでいるのがうすうす見て取れます。

駅前のビジネスホテルに泊まって、それから、どうやって東京に帰るのか?本気で帰ろうとするなら、ホテルに荷物預けたまま、娘を連れに戻って、さっさと汽車なりバスに乗ればいいのですが、

何を思ったか、開店時間が9時のパチンコ屋で、グダグダ玉打っていたりします。

東京に戻る決断ができないから、こんな時間にパチンコ屋にいるのでしょうけれど、
そういうことをわざわざ考えなくても、画面の向きを見ているだけで、大まかなことが一発でわかってしまいます。

春子さんは 向きでパチンコを打っている、それは東京に帰りたくないからだ。

そういうことです。


昔の不良の知り合いに絡まれて、潮時だと娘を探しに行きますが、
その時、夏ばっぱがアキを海に蹴落とします。

その直前のばっぱの台詞
「もぐりてえか、もぐってみっか、一緒に」


このカットです、
「もぐりてえか、もぐってみっか、一緒に」の台詞に込められた、孫とこれから一緒に暮らそうというメッセージ、さらには、娘との関係をも修復したいというメッセージ、それを宮本信子の演技で表現することをあえて避けます。

ちゃんとした役者の演技している顔をこんな風に刻むことを普通のドラマや映画では行いません。

そして、これがいかにも典型的な『あまちゃん』の演出です。

ばっぱが、そういうことを言った時の心のテレを隠すように画面上からほとんど宮本信子の顔を隠してしまいます。

このぱっぱの心情がカモフラージュされて見ている人にはわかりにくい、というのと、アキはばっぱの心情に気づかなかったという事が、リンクしてしまうんですよ。

この控えめなメッセージに気が付かなかった人は、アキ目線で物語を見るでしょうし、
気づいた人は、ばっぱ目線で物語を見ることになるのでしょう。

そして、ばっぱは、船のへりに立っているのにまだ決断のつかないアキを海に突き落とします。

それはあたかも見ているものが海に突き落とされたような唐突な感じです。

「何すんだよ、このババア。アキは空中でそう思いました」