わたしは、公立中学二年生30人学級の上位7人くらいが分かるような文章を書くことをモットーとしているのですが、
今回の内容は、なるべくなら
当ブログの理屈について
この回を読んだ後に、読んでいただきたいのですし、出来ることなら前日の記述にさかのぼっって読んでいただきたいものです。
まあ、読まなくても大体わかります。
でも、分からなかったときに、それはどうしてなのか?という疑問が起こった場合、二つの可能性を考えてみてください。
一つ目は、わたしの言うとおりにしなかったからということ、
二つ目は、実はあなたの知力がその程度であるということ
では、どうぞ。
(で、本心言わせていただきますと、当ブログの理屈についてこの回読んだ人だったら、2013年10月11日の『あまちゃん』についてわたしが書いていることって、本当は読む必要ないはずのことです。あっち読めば、もうわかるはずのことなのですよね、公立中学二年生30人学級の上位7人くらいの知力があれば… でも私も含めて普通の大人って情けなくなるくらいに大馬鹿野郎なんですよ)
BGMにどうぞ。
U2の『a sort of homecming(ある種の里帰り)』
「廃墟の故郷を出発し、死んで、生まれ変わって、帰郷する」そういう歌詞です。
宮藤官九郎はロックバンドで活動しています。
そして、能年玲奈も橋本愛もロック好きですし、
小泉今日子、杉本哲太もロック系の人です。
むろんU2と『あまちゃん』の関係は他人の空似だとは思いますけれども、ロックが半世紀かかって育んだ文化を理解しておくと、
『あまちゃん』って、よくわかると思います。
基本、登場人物の行動原理はロック文化的です。
第一話 井上剛監督
「アキ、海見てきな」
「何これ、道わかんないし」
さっき、石碑のところで車を止めて、→方向に道を歩いてばっぱの家に行ったのですから、
今度はその道を戻ることになりますので、当然 ←方向。
台詞に「道わかんないし」ってありますけど、アキちゃん以上に、見てる私たちには土地勘がわきませんから、来た道を逆方向に行ってもらわないとどこに向かっているのか分かりません。
海を見ている美少女の横顔。
ここで注意してほしいのは、音響。
波の音のように聞こえますけれど、実のところそれは潮風にざわめく樹の葉の音。
映像作品は、人間の五感のうち視覚に大きく偏重したもので、
それゆえ、現実の感覚と画面の内側の世界には落差があります。
その落差を埋めて、よりリアリティを増そうとするなら、視覚以外の情報を表現する必要があるわけで、
魚の一夜干しの臭いをかぐアキちゃん。その匂いのリアリティが彼女を海の方へと引きずりおろします。
そして、見ている人も聴覚や嗅覚の情報を不完全ながらも与えられることで、海をより身近に感じることができます。
坂を駆け下りるアキの道筋は緩やかに →方向に湾曲しています。 もと来た道を戻っているのではなく、一夜干しネットから先は初めての道ですから向きが変わるのですね。、
それに対して、春子さんの方は、相変わらず ←を向いたままです。
彼女の心が海の方へ降りていくには過去にわだかまりが大きすぎることを示唆するかのようです。
袖ヶ浜の漁港に向かうアキ →
この井上剛監督第一話では、家に戻る方向を→で描いていますから、
「海へ帰る」
このアキの移動方向には、そういうポエムが組み入れられている訳です。
余りにもギャグめかしてますけれど、このようにまとめることができると思います。
帰る場所とは、海とおばあちゃん
海とは、帰る場所であり、年老いた母
老母とは、帰る場所であり、海。
あまちゃん、第一話のポエムとはこういうものであり、
第一話が放送された時点で、それ以降クドカンが脚本でできることの可能性はかなり限定されてしまいます。
終盤に、夏ばっぱがこういうことを言います。こういう台詞が来なくてはおさまりがつかないように第一話の段階で決まっていたわけですね。
おらたちは何代も前から海の恵みで生きてきた。今更一回や二回海がへそ曲げたからって、このそば離れて生きていくことなんかできねえ。
それにおらたちが引っ越したら、忠兵衛さんはどこに帰ってきたらいいんだ?
津波の被害をことさら大仰に描くことなどなく、海、もしくは死を恐怖の対象ではなく、常にそばにあり、いつくしむべきものとして表現しようという『あまちゃん』の基本トーンは、主として井上剛監督によりきめられていた、私はそう考えます。
そして、第一話を見直してみると、見てる人は気持ちよくいくつかの点で騙されていることが分かります。
まず、アキが、海へ行く途中、一夜干しネットのところで海の美しさにうっとりとして坂を駆け下りていくシーンですが、
来るとき、あの光景見てるはずですから、本当は、そこまで感極まる必然性ってないんですよね。
もうひとつ、
夏ばっぱが味噌汁の具にワカメ採りに海に行って不在だったという設定ですが、よく見ると、玄関のそばに、ワカメが干してあるのが見えます。
つまり、このわざとらしい劇的な展開に対して、井上剛監督からクドカンの方へツッコミがなされているわけです。
ついでにこれも言っておきます
宇多田ヒカルのDEEP RIVER
遠藤周作のガンジス河についての小説から宇多田ヒカルが作った曲です。
PVの元ネタは『シンレッドライン』だと思います。
最初の1分5秒間の歌詞については、戦慄する程度に私がこのブログ内で語ってきた内容と似ています。
他人の空似だとは思いますが、日本人の慰霊鎮魂に対する考え方、ロック系の人の文化、そういうものを押さえておくと、『あまちゃん』は分かりやすいものだと私は思います。
彼女の手首のミサンガも他人の空似だとは思います。
宇多田ヒカルのお母さん、岩手県出身ですから、宇多田ヒカルも『あまちゃん』枠で紅白に出てほしいもんです。
しかし、いい歌なんですが、完成度低いよね。
56話 梶原登城監督
「南さ向いてる冷蔵庫を開け…」
渡辺えりの破壊力抜群のギャグ。
ただ、しかし、『魅せられて』は「女は海」と歌詞が続いていくので、
ちゃんと意味を考えられたはめ込みであると推測できます。
ちなみに
50話西村武五郎監督
『潮騒のメモリー』の歌唱指導で『千の風になって』を歌わせる渡辺えり。
153話の薬師丸ひろ子の熱唱の回で、『潮騒のメモリー』は津波で死んだ人の鎮魂歌だったことが種明かしされますが、その伏線として、『潮騒のメモリー』=『千の風になって』がギャグのカモフラージュの上で何度も示されています。
ご存じのとおり、『千の風になって』は死んだ人の魂がそこにまだあるようにふるまうことで生き残った人の心をいやす歌ですが、
先週このブログで取り上げた『暗いはしけ』もほとんど同じ内容の歌です。
153話の演出に、アマリアロドリゲスの『暗いはしけ』が影響を与えているのは、おそらく事実だろうと私は思います。
やりすぎ感のあるギャグの真裏に本音が隠されている、これも『あまちゃん』世界の原則の一つです。
『ビートルズがやって来る』のパロディのSMAPのNTTドコモのCMとほとんど同じです。
どっちも元ネタビートルズですから。
クドカンのことなんでしょうか?なんかうらやましい。
『ジミでヘンで微妙』
『あまちゃん』は情報量多いですよ。一回見ただけだと消化しきれないんですが、消化できなくてもちゃんと楽しめる。
すごいっす。