『あまちゃん』 ガンジス河のマーメイド

あまちゃん』 153話をベストの回に推す人は多いと思います。

あの薬師丸ひろ子の歌う回のいったい何が素晴らしかったのか?ということなんですけれど、


結局のところ、薬師丸ひろ子(というか鈴鹿ひろ美)がどうして上手に歌えたのか?については謎のままです。


そして、その物語の破たんにもかかわらず、見てる人はボロボロ泣いてるのですが、

私に言わせると、
あのシーンは、ドラマの虚構が現実に入れ替わった奇跡の一瞬だったということです。


見てる人のかなりのパーセントは、歌が下手なのは小泉今日子で、薬師丸ひろ子は上手いことを知ってますから、
小泉今日子薬師丸ひろ子に歌唱指導して怒鳴ってるシーンを見て、相当違和感もっていたはずなんですが、

薬師丸ひろ子が本来の実力通りに歌を歌い始めたとき、ドラマの虚構とかつじつま合わせがどうでもよくなってしまうのですね。

そして、それと同時に、『潮騒のメモリー』というふざけきった歌詞のパロディーソングが、実のところ震災と津波の鎮魂歌だったということを種明かしされて、愕然とするわけです。
と同時に、誰も死ぬことのない『あまちゃん』というドラマ自体が、死者への鎮魂として成り立っているのではないかと勘繰り始めるのですが、

潮騒のメモリー、全部大和言葉に変換すると、  波の音の思いで っつう感じですが、

見てて最初から気が付きそうなものなのに、極めて馬鹿げた歌詞が充てられていたために、完全に視聴者は欺かれていましたし、
薬師丸ひろ子が歌い始めるギリギリまで、ドラマは敢えてこの歌の正体が鎮魂歌であることをギャグの迷彩で隠し続けます。


「三代前からマーメイド」と歌いなおされることで、「三途の川のマーメイド」というわけのわからない詞が一気に鎮魂歌に変わってしまうのですが、

まあ、「三途の川のマーメイド」とかいうと 『悪魔のデビルトラック』とか『地獄の毒毒モンスター』とかC級映画調で完全に私も騙されていました。


「来てよその日を跳び越えて」が311の日付のことを言っているというのは、放送当日にネットで話題になりましたが、
「来てよその川乗り越えて」の川とは、三途の川のことなのではないか? 死んだ人にもう一度会いたいという遺族の願いを代弁したものではないかとわたしは思います。


『ガンジス河でバタフライ』宮藤官九郎脚本で荒川良々も出ています。

ガンジス河ヴァナーラシ、世界で一番、私たちが三途の川に対して持っているイメージを具現化している場所。

原作ありきでクドカンのオリジナルストーリーではないんですが、
人を水の中に飛び込ませるの好きなんですね、この人。


「ジョニーに伝えて、千円返して」とかも、何か裏があるんじゃないかと最終回予想していた人もいたんですが、
潮騒のメモリー』のどう考えても変な箇所って、多くの部分が伏線として回収されることはありませんでした。

三途の川のマーメイド」迷彩としてあまりにもやりすぎだったんですけれど、そのやりすぎ振りゆえに、実のところの本音というか種明かしがそこにはあったのではないか、と私はかなり真面目に思っています。


そういえば、『潮騒』の作者・三島由紀夫もガンジス河ヴァナーラシにハマって小説書いてます。