上座 下座

現在の日本映画・テレビドラマでは 画面上にこのように人物が配置されることが通常です。

この話を、当ブログで書いたところ、
「それって舞台の上手下手の映画版でしょ?」で、すんなり了解される方もいらっしゃるようなのですが、

わたしには、それって、画面の進行方向について肝心なところを見落としてるよな、ほとんど分かってねえよなと思われてしまう。

まあそれはいいとしまして、


舞台と映画については興味深い点がございまして、

まず、長編映画の黎明期というのは、どこの国でも舞台を一番の特等席から固定カメラで写したようなものばかりでして、



映画産業の遅れていた地域、例えば香港ですが、第二次大戦後しばらくまでは、京劇の舞台を映しただけの映画を撮っていて、革命から逃げてきた上海の映画人に映画産業をまるごと乗っ取られたそうです。

舞台演劇をスクリーンに移し替えることで映画が始まったのですから、映画の画面上にも舞台演劇の上座下座が透けて見える、というか以前は見えたのが当然と言えば当然なのでしょうが、

そんでも、いちいち上司上役を 画面向かって右側に配するとかやってると思います?


本来、演劇って、神への奉納物で神というか神棚に当たる部位を上座としてくらいの高い役を配したことが始まりなのだと思うのですが、

この古代的な論理がきわめて鮮明に出ているのは、天皇陛下を画面上どの位置に配列するかの際です。

ただしかし、
天子様はありがたすぎて、庶民が直に拝んだら目がつぶれるとか言ってたらしい戦前戦中では、天皇って映画に出てきていません。誰も恐れ多くて演じようなんてしませんでした。


第一章『映画の抱えるお約束事』で述べてありますが、
この映画の画面に進行方向をさりげなく埋め込むやり方は、
自然発生的なものであり、段階的なものであるようです。

特に、契機となったのは、サイレントからトーキーに移行して、
ストーリーを字幕なしで、画面のみで語りきらないといけないようになったからだと私は考えておりますが、

サイレントからトーキーに移行するのが30年代前半。そして対米関係の悪化からアメリカ映画が入ってこなくなるのが30年代末。


日本映画は、本当に、アメリカ映画の様に画面の進行方向をすんなりと受け入れることができたのかというと、あやふやな時期が長かったのではないでしょうか。


映画の画面の進行方向のセオリーが確立していない場合、

演劇の上手下手の発想が、濃厚に栄華を支配してしまうこともあるでしょうが、

この問題を考えるにあたって、非常に興味深いのが
『ハワイ・マレー沖海戦

戦時下の日本で撮影された、一番有名で派手なプロパガンダ映画ですが、

この映画、今の日本人が見て面白いのかどうなのかと申しますと、
面白しろい箇所は確かにありますが、救いがたい退屈さも随所に見られます。


まず、どういう点が面白いのかといいますと、

敗戦前ですから、ここに出てくる飛行機 全て本物です。

戦後の武装解除後にとられた『トラトラトラ』とか『パールハーバー』のようなニセモノのゼロ戦とかではありません。

また、軍隊の訓練場面もほとんど本物です。

そのような点は確かに見ごたえがあるのですが、

どのような個所が、見るに堪えないのかというと、

所謂 偉い人たちのスピーチがこれでもかこれでもかと挿入され、
単に原稿を読み上げるだけのスピーチ それも漢文朝の「格調高い」原稿の棒読みですから、
まともな人間だと、早送りせずにはいられません。

もし、日本にゲッベルスのような優秀な宣伝相がいたならば、このような冗漫なシーンはプロパガンダとしての効果を著しく損ねるということで、ことごとく鋏で切り落とされたことでしょう。

まあ、それはいいとして、

この映画、画面進行に関してはいろいろと気になる点があります。

真珠湾攻撃とプリンスオブウェールズの撃沈を円谷プロが再現した映画なのですが、

まず第一に

実際の地理的イメージに引きずられるように、

真珠湾攻撃マレー沖海戦の進撃方向が画面上で逆になっています。


真珠湾へ向かう艦長の方向 →


プリンスオブウェールズを探す爆撃機 ←

つまり実際の地理的イメージに引きずらて、画面進行によるテーマの提示を放棄している訳です。

第二に、
史実では真珠湾奇襲が先で、英国東洋艦隊の撃沈が後なのですが、
その時系列を映画も忠実になぞります。

これが著しく映画の構成をどうしようもないものにしておりまして、

作戦の規模、作戦の歴史的意義、どちらも真珠湾奇襲の方が桁ひとつ大きいものです。

だから、ドラマを盛り上げようとするなら、映画のクライマックスが真珠湾であるべきなのですが、

辛いことに、そのあとに明らかに見劣りのするマレー沖海戦の様子が描かれます。



つまり、映画が現実の条件をねじ伏せてまで、物語を追求しようとはせず、実写化の要請におもねった映画、
という身もふたもない評価が正しいだろうということですが、



更にもう一つ、
この映画、戦闘シーン以外の物語の進行方向は、どうなのかというと、

おそらく進行方向有りません、

つまり、画面の上で登場人物がテーマを追求するというものではありません。

一応主人公らしき人はいますけれども、その他大勢のうちの一人にすぎず、個性の描写は一切ありません。

この映画に画面の進行方向はなく、あるのは、ただ、上座 下座のみです。


冒頭の士官の帰郷のシーン

ひたすらスタスタと → 方向に進みます。


士官は地主のせがれで、家の敷居をまたぐときに方向転換。



父親のいる部屋に入室。



部屋に入ったら、カメラの位置が変わり、父親に拝礼。


この映画の画面構成、向かって右側が上座であるというのが、かなり徹底されています。

つまり、実社会の身分制度をそのまま受け入れることで、物語を線的に追及することをほぼやめている映画でして、

ミリタリーオタク的には見どころの多い映画ですが、

映画としてのあまりの意気地のなさには、あっけにとられます。



また、このように、テーマの追求をやめにしている映画ですから、観客に、「我々はなんのために戦うのか」を刷り込むこともありません。

太平洋戦争を聖戦などといいたがる右翼は多いですが、本当に聖戦だったのなら、こんなノンポリなプロパガンダ映画軍部が許しとくかよ?と思います。

その点につきましては、見てて情けなくなってきました。

故郷のきれいな風景と人を守るためだったら、戦争回避に尽力すればよかったわけで、
それ以外の戦争目的って実のところ何もなかったのだろうか?


ナチのプロパガンダ映画『意志の勝利』なかなか素晴らしいプロパガンダ映画ですが、

あの映画の面白いところは、アドルフ・ヒトラーという20世紀で最もキャラの立った人物の様子が余すところ無くうつされているのですが、

プロパガンダ作品ならば、そのリーダーを魅力的に描写することは絶対に必要なことに思われますけれども、


この映画、魅力的なリーダーはどこにも出てきません。

すがすがしい人物、思いやりあふれる人物は何人も出てきますが、
この「聖戦」の意義を規定し、その遂行を指導する人物が出てこないのです。


一見するとそうなのですが、

実は、この映画、上座が画面上にあることを示すことによって 天皇陛下の存在が示唆されています。


明治天皇の御歌を朝礼で吟ずるシーン。


海ゆかば」のシーン




社会秩序の肯定、戦争状況を一応正確に描し写すること、

そういう上からの要請以外に、画面は何一つテーマを追求していなくて、そのあまりの意気地のなさに唖然とするのですが、
その情けなさが、実のところ「聖戦」の目的を理路整然と説明できなかった敗戦前の日本の情けなさにオーバーラップしてしまい、見ていて鬱になれる映画です。


まあ、それはいいとしまして、

この映画が、このような形で進行方向を放棄しているということは、
この当時の日本人にとって、面の進行というのは、どうしても不可欠というものではなかったようです。


こんなことから、わたしは、戦前の日本映画の水準というものをなかなか信じることができないのですね。










戦後の映画には天皇陛下が登場します。
昭和天皇崩御以前には、昭和天皇を平然と演じるということは少なかったように思われます。
それで、映画の中の天皇というと、明治天皇の姿が私の脳裏に思い上がるのですが、

日露戦争を題材にした映画はいくつもあります。
『敵中横断三百里』みたいな局地戦を描いたものでなく、日露戦争を俯瞰的に見下ろしたような構成の映画と申しますと、
東宝嵐寛寿郎明治天皇を演ずるシリーズ。東映が制作した『二百三高地』と『海ゆかば』それと東宝の『日本海大海戦』、それ以外はというと、テレビですけれどもつい最近放送した『坂の上の雲』でしょうか。


明治天皇と日露大戦争』1957年

ラカン演ずる明治天皇を拝む観客さえいた、とウィキペディアには書かれています。

宗教映画が発展途上国で封切られるときに今も見られる光景が当時の日本にもあったようですし、また、映画で天皇の役を役者が演じることがそれほどインパクトがあった時代があったということでもあります。



この映画天皇が上座に配されます。

明治天皇と日露大戦争』の制作は、新東宝
労働争議を嫌って東宝から独立したスタッフで運営されていた社ですが、

『ハワイマレー沖海戦』も東宝制作でしたから、

画面の進行方向を無視してでも、天皇陛下を 「上座」に配するという発想は、その時以来のものなのかもしれません。



天皇陛下の下に戦う日本軍兵士も側にまとめられ、

ロシア軍 と画面上に整然と配置されております。


戦争映画というものは、大量のエキストラを出演させなくては戦場シーンを描くことができないものです。そして引き画面の戦場の光景ではエキストラ一人一人をしっかりと映すわけなんかありません。遠目で見たとき両軍の軍服の違いさえはっきり見えないのですから、どちらがロシア軍でどちらが日本軍であるかというのは、それぞれの軍のむいている方向で区別するしかないわけです。



この映画の公開されたのは、1957年で、日本映画の主流はとっくに画面の進行方向の技法を取り入れており、その方向は でした。


それ故、この映画の進行方向は、きわめて目立つのですね。


そのあと制作される日露戦争ものの画面進行を調べてみますと、日本の映画史が見えてくるようです。



1967年公開の東宝『日本海大海戦』では、映画の進行がですから、日本軍が向きで画面に配置されるのは当然としても、そうした場合、天皇陛下を画面上の上座に配置することができないことになるのですね。

『ハワイマレー沖海戦』以来の天皇上座を、映画の進行方向と整合性を持たせるために、どのように処理したのかといいますと、



天皇陛下の左右切り替えが、画面上で行われています。

天子様は恐れ多いので、演じる役者の顔を映さないとか遠景で画面の中央に配置したりするもんですが、
こうやって左右の切り返えを行なった場合には、天皇の心の内面を映画の中で描くことになってしまうわけです。
単なるイコンとしての天皇ではなく、天皇の内面を描くそこにわたしは戦後のリベラリズムが力を持ってきたことを感じる次第です。

映画の進行方向を規定し、その方向によって戦争での勝利を描いていくのがこの映画なのですが、
天皇を上座に配置するという問題を解決するにあたり、戦争を決断した時には 和平を志向しているときは天皇の心情を左右の切り替えによって表現しているようです。

つまり、東宝グル―プが以前行ってきた 天皇陛下の上座 の伝統が、
この映画では、天皇が平和的な発言をなさるときにピタリとはまるのですよ。

これが、戦後の天皇のイメージの在り方だったんだなぁと感心するんですが。



この映画方向によって 戦争の勝利を描くのですが、それに対立するはなんなのかというと、
敵であるロシア軍が向きであるのですが、
それ以外にも向きで描かれるものには
死であり、敵であり、または平和主義であり、平和な過去や家であったりします。


広瀬中佐が幸せなロシアでの過去を回想するときは向き
東郷夫妻が息子をなくした盲目の老婆の駄菓子屋に行くと老婆は向き
スウェーデンロシア革命勢力に武器を流していた明石大佐は、斜に構えた余裕ある態度で向き。
敵を粉砕する以前に、このようなもろもろの要素を画面上でなんとか方向に束ねないと、勝てる戦も勝てない、というよりかは海戦以前に物語が破綻してしまいます。

離島の漁師が、ロシア艦隊発見の情報を軍に知らせるために困難な渡海を行います。

戦争において女の人の存在は好戦意識の足を引っ張るのが常なようですけれども、

このシーン 女の人がとポジティブ。


時代がリベラル化してしまったために、男が主導して勝ち戦って構図に観客がリアリティを感じられなくなっていたのでしょう。

銃後の平和主義のもろもろを束ねてロシアと一戦交えるのに奮闘するのは、この映画ではおばちゃんの存在だったりします。



ラストシーンは、戦争を終えた東郷元帥が方向に歩いて、戦勝の意味の大きさに恐れ入り平和を祈念して靖国に参拝しているというものでした。

おそらく『明治天皇と日露大戦争』を意識しているだろうこと、反戦リベラリズムの時代に入っていたことで、
画面の進行がスッキリしません。

戦争に勝つことは悪いことじゃないけど、戦争そのものはいいことじゃないよね、的な映画です。そしてそれ以上に、この映画の頃から日本映画の進行方向は →から ←へと移行していきます。

学生運動の盛んな時代でしたし、戦争映画をどう扱っていいか難儀していた時代のものですが、それ以上に社会の価値観が揺らいでいたこともあって、映画以外のすべてに対して、どう対処していいのか自信の持てなかった時代だったのでしょうか。



次は東映の『二百三高地』1980年
日本映画の大勢が の画面進行に切り替わってしまった後の映画です。

この頃になると、スクリーン上の天皇陛下に手を合わせて拝む人もいなかったでしょうし、

三船敏郎明治天皇を演じていることにつきましては、
天皇に似せようという努力も工夫もなさそうです。
「あっ、世界のミフネだ」でお仕舞なんですよね。
こうなると、もう天皇が画面上の上座かどうかなんて、どうでもいいことだったのではないでしょうか。

日露戦争の中の旅順攻略戦に絞った映画です。
また、制作会社も泥臭い東映です。

二百三高地』の戦いが、10年後の第一次大戦塹壕戦の前哨戦みたいなものだったといわれるのですが、このマシンガンに向かっての無意味な突撃というのは、見ていて鬱になれてしまうものです。

そういう歴史的な話はしばらくうっちゃいといて、映画表現の話をすると、塹壕戦の名作といえば、『西部戦線異常なし』と『突撃』ですが、

この二本の先達を見るにつけ、何と何の戦いを表現していたのかが画面の左右の振り分けから読み取れます。

西部戦線異状なし』の場合は、敵と味方という単純な振り分けでなく、生きるものと死にゆくものの対比で戦場を描写しますし、
『突撃』では、無意味な命令を行う上官およびそれをサポートする社会制度に生身の兵士を対比させて描写しております。

≪関連≫『西部戦線異状なし』
≪関連≫『突撃』

単に敵軍と友軍の対立のみで戦場を描くなら、それは単純な愛国プロパガンダに堕してしまうものでして、まともな知性を持った監督ならそのような作品を作ることに抵抗を感じるものでしょう。


では、『二百三高地』に於いてはどうなっているのかというと、

映画とはこういう構造を持っており、日本軍が二百三高地を陥れることを目的に映画が進んでいきますので、日本軍の侵攻方向は基本的に 、それに対しロシア軍の防御はの方向になされます。

こういう画面左右の戦いというものが映画の基本ですが、如何にこの基本形を崩していくかが映画の個性であり、その理論的根拠がその映画のメッセージといえるものです。

ロシア   日本の画面構図が崩れるのはどんな時かというと、マシンガンの硝煙の向こうに隠れるはずのロシア人の人間性が垣間見えるときです。



陣地構築の空き時間にコサックダンスを踊っているときに、ロシア人の向きが変わる。




24時間休戦のとき、二軍の兵士が入り乱れ、二軍が戦闘状態に無いことを映像的に示している。

という感じで、敵は人間としてのロシア人ではなく、あくまでも軍隊としてのロシアであると映像が語っております。


しかし、それ以上に、

の基本形が崩れるのは、毎度毎度の突撃シーンです。

最後の二百三高地占領のシーン以外の突撃は、全て無駄死にであるので、ゴールに結びつかないアクションとして、−>方向になされています。

こういう戦争映画は見ていてつらい。
カタルシスが無いですし、また戦況的には、二百三高地に向けて大型砲ぶっ放す以外のやり方は全く膠着した状況を動かさなかったという点で、物語り進展のほとんど無い退屈な映画といえるかもしれません。

事実、私はこの映画を見ていて途中で飽きてしまいました。
まあ、戦場の兵士のご苦労を思えば、2時間半の退屈を我慢することなどなんでもないはずなのですが。

おそらく司馬遼太郎を原作としているらしい映画ですが、彼の本にある二百三高地の戦いは人命の無意味な損傷というテーマを愚直に退屈な映画になることを厭わず描いているというのが、この映画の個性なのでしょうか。

まあ、マシンガンに撃たれるためだけの突撃というものに今現代の人間がどんな意味を見つけていいのか全く不明だけに、こういう映画になってしまうのも仕方の無いことなのかもしれません。
これが戦場のリアルだと言われれば、そうなのだろうなと納得はできます。

血まみれの実録ヤクザ映画を量産していた東映日露戦争映画でした。