マンガの見方

人間の目のつき方って、左右に一個ずつで、両目が離れている分だけ、上下よりも左右に対しての方が視界が広いです。

人って空飛ぶわけじゃなく目の高さ固定して歩くのが専らですから、上下方向よりも水平方向に視線移動させる必要の方が大きいです。

そんな理由から、左右に視線を動かすことのほうが上下に視線動かすことよりも自然なんでしょう。

世界的に見れば、圧倒的に左右に文字を並べる言語の方が多数派です。
それは眼球の構造に理由があるわけでして、

中国周辺国では縦書きが主体でしたけど、その本元の中国でさえ、現在の活字表記は左から右の横書きになってしまいましたし、
モンゴルやベトナムなんかは、アルファベットつかって言語表記するまでに至っちゃいましたん。

日本くらいですか、縦書きに固執しているのは。そんでもネットの文章は、完全に横書きにしてやられていますから、近い将来完全に日本語も横書きが主流になるでしょう。


フクちゃんの作者、横山隆一の作品。
四コマ漫画を並べたように、縦の方向に読んでいく漫画。

東海林さだおサトウサンペイといった、新聞向けの四コマ漫画の作者は、長編マンガでも縦書き。
これは、新聞や週刊誌といった縦書きの活字が組まれる紙面の片隅に漫画が掲載さる場合の整合性から、縦方向に読む漫画になったのだと私は考える。


しかし、縦に読むということは、人間の目の構造からは不自然なので、マンガでは右から左に読んでいくのが圧倒的に主流です。

戦前のマンガ『のらくろ』右から左に読んでいく。左端に着くと下に降りる。
左右の逆はあるものの、このケータイのマンガの読み方は活字の読み方に近い。

ほとんどの場合、各コマの大きさは均一。四コマ漫画を横向きに描いただけとも言えるが、
絵巻物のことを考えると、このスタイルは、伝統に沿ったものと考えられる。


清明上河図』 中国で一番有名な絵巻物。
北宋の首都開封の街の城門から宮殿までの光景が <ーで描かれている。

今現代の漫画と比べてみると、のらくろのコマ割の「変さ」かげんというのは、各コマが均一であるだけではなく、縦方向に視線が動く切っ掛けが与えられていないことだと思われます。

今の漫画は、横方向だけでなく、縦方向へのコマの流れがあるので、ページ上を行き交う視線の流れは、縦横無尽ではるかに視線のうねりが大きい。

この視線の動きの自由さ度合いが、マンガのリズム,マンガの生理的な心地良さになっていると思われます。



このようなコマのつなぎだと、絵巻物と同じで、右から左へ、そして行き詰まると下へと、何の疑問も感じません。


そんでも、こういうコマ割りに出くわすと、どうしたもんでしょう?そして、私の見るところでは、マンガってこのコマ割りが鍵なんですわね。

「こんなふうに読むんでしょ、あったりまえじゃない」

そう安直に思い込んでいるとしたら、そういう人って、あんまり頭良くないでしょう。

なんでかというと、どんな順序でコマを読んでいくのかを作者が明確に指定したいときは、

この方式でコマをつないでいくんでないですか?

もしくは、本気で、読む順番を指定したいんだったら各コマごとに数字で順番入れていくはずです。

『フクちゃん』とか『のらくろ』には、コマに数字がちゃんと入っているんですわね。大昔の漫画って、読者が漫画読み慣れていなかったから、その順番でコマ読んでいくかについての番号がふってあったんです。


つまり、この手のコマ割りって、どの順番で読んでいくかについての強制力が、半分壊れているわけです。
だから、

知らず知らずの内に、こんなふうに読んだりしてないですか?

基本は、

の順番で読むのが論理的に一番妥当なのだろうことは、ほぼ決定的ですけれども、

時によっては、

こんなふうに同じ箇所を視線が循環してしまうこともあります。

知らず知らずの内に、このコマわりをされると、視線が歪に動いてしまうんですわね。




横に並ぶコマには、明確な時間の流れ、もしくはそれぞれのコマ間の因果関係が描かれている傾向が強い。

それと比べると、タテヨコが交錯するコマでは、

こんなふうに目が動いてします可能性が高いわけでして、各コマ間の時間順序、因果関係は、弱い。

この場合だと、ピノコはどの段階でブラックジャックの帰宅に気がついたのか?というと、ブラックジャックが車のドアを開けたあとというよりかは、丘の上を登ってくる車を窓から見た時点で気がついた可能性が高い。
縦に並んだ二コマの間に因果関係がないと想定すると、そのような解釈が可能になる。


最近の漫画って視線誘導とか言って、変なコマ割り多いんですが、
基本は、これでしょう。

ラズウェル細木の『酒のほそ道』を読んでいても、一ページに一回は必ず出てくる。



タテヨコの交差したこまわりを使用しないと、ものすごく古風で淡々とした印象を受ける。
機械的に事務的に、物事の経過を報告しているような印象。

漂流教室』72年の作品。
既にこの頃にはタテヨコ交差のコマ割は普通にマンガ買いの主流になっていましたし、楳図かずおもほかのページでは、それを使っているのですが、
この地割れを飛び越える場面では、『のらくろ』のような古色蒼然としたコマ構成。

その淡々とした感じが、生存競争に敗れて死んでいく子供たちに対してビンの中のアリでも観察するような視線を想起させる。




これ白土三平の63年の漫画なんですが、

時系列とか因果関係ではなく、縦方向と横方向の運動線によってコマを使い分けています。

ちなみにこの2年前の『赤目』という作品では、白土三平はタテヨコ交差させるコマ構成を使っていません。

また、手塚治虫で調べてみたんですが、1949年の『メトロポリス』では、タテヨコのコマの交差をほとんど使っていません。
1952年の『鉄腕アトム』では、もうバキバキニコの手法が出てきます。


メトロポリス』より、右側のページは横に読むんですが、左側のページは縦に読むという珍しい構成です。

手塚治虫にとっては、論理展開によってコマがつながっているのではなく、キャラがどう動くかの動線によってコマの継りが決定されていたわけでして、
フキダシを読んでいく漫画ではなく、映画のように見る漫画の確立を目指していたのでしょう。

やっぱ、漫画って読んじゃダメなんですよ。見なきゃダメなんです。漫画のストーリー追っかけるだけで、なんにも見てなくて、そのくせ「自分は速読みだ」とか言ってるようじゃアホなんですね。

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