『続猿の惑星』 復活しない日

滅亡間近の人類が、遺された核兵器を神のように崇めているという『続猿の惑星』の設定ですが、
子供のとき見たときには安っぽいネタだなぁと思っていたんですけれども、
意外にそういう話ってありそうです。

人類の歴史では、かような文明崩壊をあまり経験していない、特に日本史では失われた文明という経験がないのですが、

世界史で近しい話というとローマの崩壊と中世の暗黒時代でしょうか。



滅びかかった人類が細々と生きている話は、SFによくある設定で、
サルに駆られる立場にまで退化した人類とかHGウエルズの『タイムマシーン』だと、完全に退化して救われようのない状態ですが、

テクノロジーの大半が失われても、かろうじて文明の残り火を守りながらネオ中世期を過ごしている人類の姿というと、『風の谷のナウシカ』とか『未来少年コナン』もそうですし、小松左京の『復活の日』では南極に取り残された科学者300人がいれば数百年で人類を再生させることができるという壮大なホラ話でしたが、

多少勉強してみた私の意見では、鉄の加工技術が失われて内燃機関と蒸気機関の生産が停止すると、ほぼ人類は終わりでしょう。

滅びかけるくらいの危機的な環境下では、鉄の加工とエンジンの技術の崩壊から、再びカンバックして文明再考することは出来ないのではないでしょうか。

機械に労働を肩代わりさせることができなくなれば、肉体労働しなければならない人口の割合が8割超えますんで、知的活動が停滞します。

また、3K労働をどうやって社会構成員に割り当てていくかを考えるに、どれだけ優秀な人間300人を集めていたとしても数世代経たあとでは、カースト制度や怪しげな宗教が復活して、支配層と労働階層の区別を正当化してしまうでしょう。

そういう状態では、失われた文明の遺物などのメンテナンスの仕方も徐々に忘れられていく、もしくはメンテナンスの仕方を理解している技術者が宗教的司祭のような立場に祭り上げられるということもあるでしょう。
そうでなかったら、誰も修理できなかった故障を祈祷で直してしまった人がリーダーに祭り上げられるかもしれません。


『続猿の惑星』では、核ミサイルが信仰の対象でしたから、なんか違和感を感じましたが、
もしあれが、発電所とか原子炉を神として信仰の対象にしている知見的に退化した人間の小集団だとしたら、妙にリアリティー感じる今日このごろです。




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