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映画の法則 ①  表現すること = 目で見てわかること

以下の内容を読まれるのでしたら、こちら(映画の抱えるお約束事)とこちら(映画の抱えるお約束事2 日本ガラパゴス映画)をどうぞ。当ブログの理論についてまとめてあります。











臨床心理学に「箱庭療法」というものがあり、精神患者に小さな箱庭を作らせて、それを手がかりに患者の心を理解していくというもの。
心の比喩として箱庭が出来上がるのですが、患者の心の変遷と共にその箱庭にも変化が生じてきます。

これは、別に精神患者に限った事ではなく、自分が自由に操作できるものは、それがたとえ稚拙であろうと精緻であろうと、自分の心をかなりの部分まで忠実に表現しているわけでありまして、そんな理由より絵画というものが社会において異様な存在感を持っているわけです。


しかしながら一定の修練と才能の必要とされる絵画にはおいそれと手を出せないという人もたくさんいますが、それでも自分の部屋に関しては、みんなそれなりに自由に個々人の才覚を発揮して、自分の個性を刻印しているのではないでしょうか?
そしてその積み重ねの結果、あなたの部屋とは臨床心理学の箱庭同様にあなたの心の比喩になっているのではないでしょうか?


正直、これってストーカー犯罪なんですけれども、フェイウォンの歌声をBGMにするとものすごくさわやかな印象を持ってしまいます。これBGMがインドポップとかヘビメタだったら、モロ犯罪ですわ。通報されます。

元カノの残していったぬいぐるみバシバシ殴っているシーンなってけっこう危ない。

彼が知らないうちに彼の部屋(心)に入り込んで、彼の部屋(心)の中を知らないうちに変えてしまう。

「映画は心という内面を人物の外面として表現している」ということについてここまで臆面もなく演出した映画ってなかなかないと思いますけれども、多かれ少なかれ映画は似たようなことを何処かで行っています。だって、それやらないと人の心の動きが観客に伝わらないですから。
人間の感覚器に関する脳細胞の80%は視覚に関するものなので、大抵のものは視覚化するとものすごく理解しやすいのですね、音も論理もそうですし、手触りや味にしたところで視覚的な比喩を使って表現するのが普通です。

人間の意識の流れ、心というものを視覚イメージによって表現するのが映画の常套手段であり、それは、日常的にわたし達が他人の心を感じる場合よりも大抵は遥かに分りやすく共感しやすいものなのですね。だから映画ってある種の人にとって中毒性があるのでしょう、と私は考えています。


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