DWグリフィス

以下の内容を読まれる前にこちら(映画の抱えるお約束事)を読まれたらどうでしょうか。この記事の理論的根拠について書かれておりますゆえ。

映画が単なる動画から、物語を語る芸術へと進化していく過程で大きな仕事をした人物、DWグリフィスですが、

国民の創生』を監督するまでは、短編映画をたくさん撮っていました。

今現在、それらの作品はyoutube等で手軽に見ることができるようになり、いい時代になったもんです。
単に記憶力がいいだけのジジイどものしゃしゃり出る時代ではなくなりましたから。


以下は、1908年の『ロンリーヴィラ』という10分間の作品です。ご主人が留守の間に押し込み強盗がやって来て、奥さん子供がドアを封鎖して族の更なる侵入に対処しようとするだけの物語です。




賊が−−>方向に攻め 家人が<−−方向に守る画面構成であり、
サッカーの試合の中継画面と全く同じ構成になっています。

http://d.hatena.ne.jp/baphoo/20111108/p1

登場人物を二手に分けて押し競まんじゅうやっているような作品ですが、
この二つの集団の間の葛藤対立をもっと抽象的なものにしたのが現在の普通の映画の表現でして、左右双方向への押し競まんじゅうというのは、今も立派に映画の中で使用され続けております。
もっとも、もっとさりげないサブリミナル的な形でなされているのでありますが。


月世界旅行』における、移動方向と画面の方向を関連させるという手法といい、
対立する2グループを、左右2方向に振り分ける手法といい、
幼稚園児でも思いつきそうなアイデアですから、思いついた人が偉いという訳ではないのでしょうけれども、
映画が平面のスクリーン上で効率的に多くのことを語るには、必ず通らなくてはいけないポイントだったのでしょう。

ちなみに、この短編では、−>方向がポジティブ<−方向がネガティブという色分けはされておらず、単に利害の異なるふたグループを表示しているに過ぎないようです。



DWグリフィスは1916年に『イントレランス』を発表しますが、その映画の中では、私の用語である「北枕」の技法がみられます。



バビロン陥落に際し奮戦する女弓手ですが、多勢に無勢、射殺されてしまいます。

元気な時は−−>方向に矢を放ちますが、死ぬときは<−−に向き変わっています。

物語の進行方向を−>
方向に初期設定として固定し、それに対してポジティブ方向−>ネガティブ方向<−として画面上の諸々を表現してゆき、その情報をサブリミナル的に観客に受け取らせるという技法があって、初めて成り立つお約束事「北枕」です。

イントレランス』、真剣にみた事が無かったのですが、おそらく、物語の進行方向という技法を既に採用している作品なのでしょう。

短編だとそこで語る物語なんて些細なものですから細かいことはどうでもいいのでしょうが、長編で物語の中に情感を組み込もうとすると、こういう技法に行き着くのでしょう。

もっとも、舞台劇を特等席から映しただけの作品で構わない人にとっては、こういう技法はどうでもいいことだったのでしょうけれども。