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赤裸なお約束事  『塹壕にて』ニコニコ動画より

以下の内容を読まれるのでしたら、まずこちら(映画の抱えるお約束事)をどうぞ。当ブログが用いる理屈についてまとめてあります。


ここ数回の私の書いている内容というのは、映画というのはサッカーとかラグビーみたいなもんということなんですわね。


物語の登場人物たちを  物語の目的を目指す側とそれをさえぎる側の二陣に分け、
主人公側を−>側に配置し、さえぎる側を<−にする。

主人公側が目的成就に向けて前進した場合は−>に画面が進み、逆によくない方向に物語が進展した場合には<−に画面が進みます。

また、主人公が相手にボールを奪われ、それを追っかけるような状況では、主人公が<−側のポジショニングを採る事になります。

こんな風に、画面上で語られるストーリーを一切無視して、画面の方向だけに着目していると、意外に映画のことがよく分ります。映画の解釈の仕方というのは人によりけりかもしれませんが、少なくとも画面上の方向の流れについては、客観的な事実として存在しますから。



そこで、主人公が相手にボールを奪われ、それを追っかけるような状況というのは、映画の中では具体的にどのような状況なのでしょうか?

物語のゴールが −> この矢印の向こうにあるはずなのですから、この反対側を主人公が向いているときというのは、主人公が目的を追求する事ができない位置にいる場合であって、

逆境にいる場合といえるかと思います。

上司の部屋に入室する場合とか、外国に入境する場面とか、主人公よりライバルのほうが正論を言っている場合とか、いろいろな場面がお約束事的に<−のポジショニングと結び付けられているのが現代の映画の状況なのですが、
そのお約束事のひとつに、
人が死んだら頭の向きが <−に切り替わるというものがあります。

このお約束事については、非常に明白に見て取れるのでいろんな映画に使われている事を、私も電波ブログの中で再三再四取り上げてきており、死んで頭の向きが<−に切り替わる事を「北枕」と命名しました。


ところでこのお約束事、誰にとってのお約束事であるかというと、あくまでも製作サイドの連中にとってのお約束事であり、観客に対してのものではないのですね。

能やギリシャ演劇にはいろいろなお約束事があり、それを理解しなければ内容がよく分らないというものですが、

映画のお約束事というのは、見る側にとっては本来関係のない事です。

私のブログが電波的にみえるのは、
画面の進行方向を操作するだけで直接的に観客の心理を操れる魔術のようなものと誤解する人がいるからでして、

画面の進行方向の操作というのはそんなに安直なものではないのです。

あくまでも説得力の問題なのです。いかにそれらしく見えるかというのが問題なのでして、電波的な魔術とは違うわけです。

画面上に恣意的に進行方向を設定した結果、いくつかの典型的な場面ではこのようにカットをつないでいけばそれらしく見えるという伝統の蓄積が映画のお約束事なのです。



それがよく分るのが、ニコニコ動画にアップされている『塹壕にて』というイギリス人のオタクが製作した2分間の8ミリ作品。



コスプレするのが主目的の作品らしいです。

それでも塹壕掘って、土嚢積み上げたりで、結構かねも手間もかかっているんじゃないでしょうか?


史実の塹壕とは違い泥濘もネズミもいない清潔な環境です


爆弾の炸裂音がして首をすくめます。

岡田斗司夫が『愛国戦隊』という自主フィルムを作成したときに、如何に火薬を自作するのが難しくて危険だったかという苦労話をされていますが、

この自主フィルム、火薬の爆発シーンありません。

爆発は、ただ登場人物がBGMにあわせて首をすくめるだけで表現されています。



そしたら隣の兵士が負傷していた。

爆薬だけでなく、血で軍服汚そうとさえしていません。
まあコスプレマニアだから軍服のレプリカ汚す事が忍びなかったのでしょう。

それで苦しそうな演技だけで瀕死の状態を表現しています。


頭の向きが逆になって、これで彼が死んだ事を表現したつもりです。


これニコニコ動画にアップされているものですから、いろんな人の書き込みが見られるのですが、

これみて、この兵士が被弾して死んだと感じられない人が結構いるんですね。

爆弾も落ちてこないし、血も流していないから、
シェルショックで精神に以上きたしているだけと見てしまう人も多いのです。


それで、無傷のほうの兵士が瀕死のほうに心臓マッサージやったりもするのですが、それにしたって、べつに演じている人の心臓には問題ないのですから、本気で心臓マッサージしたりはしないのですね。


そんで、さすっているだけに見えるんです。

実際心臓マッサージするとかなりの確立で肋骨の一本や二本は折れますから、ふざけてやるようなものではないのですが、

そのような自主制作フィルムの条件がいくつも重なると、この場面で兵士が死んだとは思えない人が多数出てくるわけです。


映画のお約束事というのは、あくまで観客の目に付かないようにこっそりと作用するものでして、それだけ抽出して、さあどうだ、といっても効力なんかないのですね。

能とかギリシャ演劇だったら、この瀕死の兵士の頭の向きが切り替わっただけで、こいつが死んだ事をりかいできない奴はアウト、となるのですが、
映画ってそういうエリート主義をとらないのです。対象とする観客の桁が5つぐらい違いますから、観客にお約束事を押し付ける事ができないわけです。

そんなわけで、
映画を楽しむにあたり、映画でのお約束事を学ぶ必要はないはずなのですが、
ただし、お約束事を理解しておくと、映画の解釈において間違った事いってしまう可能性がとことん低くなります。また作る側は準備期間合わせて何年も費やしているんですから、たかだか二時間映画を見たくらいで製作者と同じ深みで映画を了解する事はできるはずはありませんが、
でも、こういうお約束事を理解しておくと、製作者の思いのかなり深いところまで到達する事ができる、
私はナチュラルにそう信じ込んでいます。

そういう観客にとっては、映画というのは、作った側と見る側との濃厚な心理的コミュニケーションな訳です。

だからアマゾンとかヤフーにくだらない批評書いている人に対してむかっ腹立つんですよ。