『もののけ姫』

以下の内容を読まれるのでしたら、こちら(映画の抱えるお約束事)とこちら(映画の抱えるお約束事2 日本ガラパゴス映画)をどうぞ。当ブログの理論についてまとめてあります。







もののけ姫』を見ていると、主人公アシタカが長大な距離を移動するので、画面が<ー方向にドンドコ進みます。

糸井重里がこの映画に『生きろ』という極めて単純な宣伝文句を考えましたが、

この映画では、<ー方向に動くのは、アシタカ以外では、生きようという気持ちの強い者です。

虫とオームに<ー方向の移動を任せきっていた『ナウシカ』とは異なり、
もののけ姫』には、地球のためなら人間なんか死んだほうがいい、的な主張はあまり感じられません。

人間は環境を破壊していきますが、そのほかの動物が環境を破壊しないかというと、猪もサルも破壊しているわけでして、互いに間引きし合うことでかろうじて自然がバランスをとっているわけです。
そして人間が環境を破壊するにも、そうすることで弱者を養う糧を得ているわけですから、今日から自然に優しくするために弱者を抹殺しましょうとは言えん訳ですよ。

だからいろいろな集団が絡み合った利害関係の中で画面の中を動きますが、「生きたい」「生きよう」と頑張る人たちには、<ー方向の移動コースが割り当てられます。

糸井重里は「生きろ」というコピーにたどり着く前に、そうとうプロデューサーからダメ出しされたそうですが、

画面の進行方向読んでいれば、わりに、この 「生きろ」という結論には簡単にたどり着けます。
そういう特異な映画の見方してなかったはずにもかかわらず、結果としてそこに至った糸井重里は、やはりえらい人だなと、だてに樋口可南子のダンナやってるわけではないなと。



『ポニョ』を見てしまうと、もうはっきり分かることなんですが、この生命の泉が、死と再生を司る場所であり、宇宙と子宮のつなぎ目みたいな場所なんですが、

ちゃんと、古代魚が水の中を泳いでいます。

より丁寧で美しい作画により
ナウシカ』の腐海のイメージがより洗練されて表現されています。

アシタカは、ここで死から蘇り、世界を救うことになるのという、いつもの宮崎駿のストーリー展開ですが、

『ポニョ』では、この泉の中だけで物語が進みます。帰るべき村も日常もありません。


『ポニョ』が御大のいきなりご乱心というわけではなくて、ちゃんと段階を踏んで、宮崎駿はああいう世界へといかれたわけです。

デビューした時から、既存のセオリーほとんど無視して監督している宮崎吾朗とは全然違います。