図解してみる

以下の内容を読まれるのでしたら、こちら(映画の抱えるお約束事)とこちら(映画の抱えるお約束事2 日本ガラパゴス映画)をどうぞ。当ブログの理論についてまとめてあります。





ネット検索しても、画面の進行方向について書いている人はどうも私しかいないようです。
これがマンガの書き方に関してだと、いくつかヒットします。
ただ、映像業界には、このこと知っている奴はわんさかいる、と私は信じて疑っていないわけです。そうじゃなかったら絵コンテ書けないですもの。
そして、こんな簡単な秘密を後生大事に隠しているらしい映像業界の現実というのが私には気持ち悪くて仕方がない。

こういう一番重要な秘密を非公開にして、新入りの若いのに奴隷労働させているのが、芸能界や映像関係者たちなのではないかと、私はものすごくネガティブにみているのですね。


このブログ成り立たせている情熱というのは、その現実認識に対するキモさと、私の個人的な谷村美月愛の二本立てですわね。
いや、後一つは、世の中の主流となっている愚民どもへの憤りですか。



日本映画・ドラマは画面の向かって右から左側に進行方向が設定され、物語は時間進行に伴って、赤矢印方向に流れます。
ほっといても時間は流れるものですから、一旦画面方向が設定されると、画面の中には、流れが生じるわけです。




このように流れに乗っていると、登場人物はどこまでも疲れ知らずに進むことが出来ます。
流れに沿ってトコトン進むのは、大概主人公と相場は決まっています。


赤側の人の方が流れに乗っているのですから、青側の人と喧嘩したら、普通勝ちます。

主人公と対立するキャラってのは、主人公が進もうとするのを止めるわけですから、主人公とは逆向きに出てくるわけです。

そんで、流れに乗った主人公に吹っ飛ばされてハッピーエンド。

正直、この程度の映画もたくさんありますけれど、もっと複雑に映画は構成されます。

例えば、こういうシーン

主人公が、うまく進めない、状況が進展しない、もしくは主人公の心に悲しみが宿る、
そういう場合は、この流れに逆らった逆ポジションになります。

もしくは、物語の目的が、矢印の向こう側にあるのですから、そこを目指していない主人公は、物語の目標の追及とは無縁の暫定的な役割を演じているともいえるでしょう。

具体的には、どういうシーンの時、この逆ポジションがお約束事化しているかというと、
逆境ですね、たとえば苦手な上司の部屋を訪問する時とか、
格上の相手との対戦にリングに上がる時とか、


そんで、映画は、クライマックスの時には、大抵以下のどちらかの画面の流れになります。

一気に物語が目的成就に向かって進展するのですから、

こういう感じで、一気に流れに沿った画面が続く。大抵、その前段階の仕込みとして、−>方向の妨害をドンドコさしはさみ、じれったい感を充満させてから、一気に<−へと解放します。
オシッコ我慢した後に、気持ちよく放尿する快感に相似しています、この流れ。
代表的な例で言うと黒澤明の『隠し砦の三悪人』の正体のバレたトシロー三船が猛然と馬を駆るシーン。

観客が映画を見てて、ここはクライマックスだと感じるのは、ストーリー展開からそう感じているからというよりも、画面の進行方向操作から、そのように心理操作されているらしいのですね。

そして
もう一つのクライマックスのパターンは、

このように、逆境に置かれているはずの主人公が、流れをぶち壊すように、逆方向に猛然と進行するパターンです。
このことを私的用語では「逆走」というのですが、物語の流れをぶち壊す=話が成立しない という危険を孕んでいますが、
上手くこの「逆走」を仕込む事が出来ると、映像の流れ的には、ものすごい快感です。
さっき、我慢した尿意を解放する快感と書いていますけれども、明らかにそれ以上の快感が画面の中にあります。
探せば、イロイロな映画で、この「逆走」をクライマックスに持ってきているのでしょうけれども、
私の好きな映画の中では『檸檬のころ』のクライマックスシーンですかね。

私、この「逆走」のクライマックスがすきなんですが、
どうしてかというと、流れに逆らっての疾走ですから、
基本的に、誰も味方がついてきてくれないんですよ。
良識有る普通の人というのは、みんな<−の方向に考え、行動していますから、
−>方向への疾走には、誰もついてきてくれないんです。大抵、この「逆走」は一人ぼっちでなされるものです。
それ故、感動的なのですね。
青春期の自我の確立、というようなテーマとこの「逆走」を利用したクライマックスというのは、実によくなじむのですわ。

『タクシードライバー』の最後の討ち入りシーンも走りはしないですけれど、延々と進行方向に逆らう「逆走」シーンです。
スターウォーズ』のデススターの溝をXウィングで疾走するシーンも「逆走」です。

「逆走」する人って、みんな、一人ぼっちでしょ?そして一人で世界を変えようって我武者羅になる姿って感動しません?