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『檸檬のころ』 映画は心をどのように表現しているのか?  

わたし、この『檸檬のころ』が好きなんですね。

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谷村美月が好きだってのがもちろんあるんですが、

「うぉっし、青春映画の傑作を撮ってやるぞ」とあなたが監督として意気込んで撮影に挑んだとしましょう。
そしたら、たいがい、この映画にあるようなミス犯すだろうし、自分が素晴らしいと思った青春のイメージがカメラを通してみると結構陳腐なものだったりしてガッカリするかもしれません。
もしくは、思いのほかうまくできたシーンがいくつかあると躍りしたくなるでしょう。
そして、作品全体としては、年がたつにつれ凡作として埋もれていくわけです。

そういうのって、なんか愛おしくありません?
それに比べると、優れた青春映画って、いい意味での陳腐さやありきたりさがなくて、
ストーリーは面白いんだけれど、見てる自分とは何の関係もないような気がすることが多いのです。


この映画、栄倉奈々が一応の主役で、谷村美月は準主役な感じですが、

本当は栄倉奈々ってこの映画では脇役で谷村美月が主役だよなと感じさせられるのが、
典型的な青春の場面ともいうべき屋上のシーン。

この映画の中で、屋上って実は谷村美月の貸切状態なのですね。

私の中学校では、なんとなく屋上への扉の鍵が開いていて、ある種のいけ好かない人たちの社交場となっていましたが、高校の方は完全に閉鎖されて上ったことがありません。

この映画の中では、なんとなく開いていたり閉まっていたりですが、

谷村美月が屋上を求めている時には、常に屋上への扉は開かれています。

それに対して、他の人が屋上に上がろうとすると

こんな風に立ち入り禁止の立て札が出ていて、椅子や机でバリケード封鎖されています。

あのバリケードを構築したり、立ち入り禁止の立て札立てたりしているのは誰なんだろう、教頭先生とか用務員のオジサンなのかな、と思ったりもしますが、それはあくまでも現実世界のリアリティーに属する事でして、
あのバリケード作っているのは、谷村美月。立ち入り禁止の立て札を立てているのも谷村美月です。

立ち入り禁止、誰も入ってくるな、それは彼女が心を閉ざしていることの比喩的表現です。


学校の屋上を貸切状態にしているというのはなんとも贅沢な設定で、準主役にはもったいないだろうてなもんですが、さらにいうと、屋上の空間とそこから見ることのできる空が彼女の心の比喩になっているというこれまたなんとも贅沢な物語設定。

クラスに友達もいなくて、どこにも居場所もなくて、将来の夢がロッキン・オン社???に就職とかなイタ設定のキャラクターなんですが、
それでも、彼女の心は誰よりも広い世界と繋がっている…、まあ文系の人間が文系のキャラを甘やかす為の映画ですから、これでいいんでしょうけれども、


屋上の空間は、彼女の心の比喩なのですから、そこに勝手に入り込んできた男の子は、

映画の中の台詞でいろいろ語られていますが

「はじめてあった時に、頭ん中でロックがギュンと掛かったんだもん」

「運命の出会いって言うか… 初めての生理がもう一度来たって言うか…」

そういうことです、いきなり彼女の心の中に入り込んだんですね。


基本、ほかの人に扉は閉ざされていますが、それでも栄倉奈々はこっそり屋上に入り込んで、谷村美月の創作ノートを見ることになります。
それがきっかけになり、二人は友達になるのですが、


詞が書けなくて煮詰まってテンパってる。後輩はロッキン・オンへの投稿が掲載されたのに、自分は文化祭向けのバンドの詞の一つも書けない、自分には才能がない、そんなことを彼に白状すると、

「ここよりもっと高いところに行こう」と誘われます。
結局この丘の上で失恋する事になるのですが、
屋上という限定された場所自己充足した閉塞した場所から、より広くて高い場所に彼女は移る事で、それまでの心の殻を破る事が出来た、そういう映像表現になっています。

このシーンを最後に彼女は二度と屋上に行くことはなくなります。

このシーン、小説にするとあまり面白くないと思うんですが、
映像化すると、結構説得力あります。




林直次郎と谷村美月の会う場所は、屋上がお決まりだったのですが、彼女が失恋して心を閉ざしてしまうと、屋上もドアも閉ざされてしまいます。
そして屋上の扉のこちら側で、林直次郎は他者としての谷村美月としっかり向き合い、その詞のメッセージの意味をしっかりと受け止める。

以下の内容を読まれるのでしたら、こちらbaphoo.hatenablog.com
と、こちらbaphoo.hatenablog.com
をどうぞ。当ブログの理論についてまとめてあります。



そして彼の方でも彼女の気持をかみ締めるように学祭でその曲を演奏して好評を得るのですが、


その曲の詞が凄く良かったと栄倉奈々から言われて、うれしくなって、素直に男の子に自分の気持を伝えにいく谷村。
画面の進行方向に逆らって方向に「逆走」する。
それまでの話の流れをチャラにする「逆走」なんですが、彼女はこの映画の中で15分くらいの間に三回も「逆走」してる。この「逆走」の頻度がまず異常なんですが、それだけ「逆走」していながら名目上の主役が栄倉奈々だというのがまた異常で、バランスが取れていないです。

多くの人が、このアンバランスさを谷村美月と栄倉奈々の演技力の差に帰しているようですが、作品構成から完全にバランス狂っています。
決して演技力の差だけではないのですね。


失恋したはずの相手に、
自分の気持を素直に伝える、自分をより広い世界に連れて行ってくれたことに感謝の意を伝える
「凄く凄くかっこよかった・・・ありがとう」



「リハーサルでは泣いてなかったのに、本番ではいきなり泪流すから谷村さんスゲー」的なことを林直次郎インタビューで語っていました。まあ、彼、役者じゃないですから。



このときの林直次郎、目潤んでない? 場の雰囲気にのまれた?