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『E.T.』 なぜ生き返る?

スピルバーグ作品

この映画、E.T.とエリオット少年の出会いの場面から二人がシンクロする過程を延々と描いていますので、どうしてE.T.が病気になったのかの理由は、エリオットがハロウィーンの夜に野宿して風引いたのにシンクロしたのだろう、と、何の疑問もなく自分はずっと思っておりました。

そんで、エリオットは家に帰って大事には至らなかったのですが、
E.T.のほうは、そのまま森にいて、ふらふらのところを河に落ちて更に病状を悪化させた。そのとばっちりでエリオットも病をこじらせた、そんな風に自分は子供のときから思っています。

宇宙戦争』のタコ星人みたいに、生水飲んでバクテリアにやられたってのとは違うように思われます。

世の中多くのヒトが病んでいるな、と自分が思うのは、映画では省略を用いますが、なんで省略したかというのは、それを言ってしまうとクドいからとか、言う必要が無いからとか、どうせ答えなんかないんだから言わない方が想像力を刺激するから、であるべきで、
何をどうして省略したかを言い当てる事が、観客の知能を計る道具として使われているはずは無いのです。

だから、ありったけの知恵を絞って、そこで本当のところは何が行われたのかを推理する事に、大した意味なんかない、ですよ。

変な国語教育受けてきたせいで、
正解を論述しないといけないとか、頭のいい人にだけ読み取れる答えがあるとか、強迫観念化している日本人って多すぎ。
はっきり言って、気持悪い。

まあ、それはいいとして、

以下の内容を読まれるのでしたら、こちらbaphoo.hatenablog.com
と、こちらbaphoo.hatenablog.com
をどうぞ。当ブログの理論についてまとめてあります。


E.T.が息を吹き返す時の描写ですが、『宇宙戦争』での女の子がギャーギャーわめいているのbaphoo.hatenablog.com
を静めるのと同じ方法が使われています。



E.T.に最後の別れを告げることの許されたエリオットが、E.T.の棺おけの前で「君のことは忘れない」とか言うんですが、その間ずっとエリオットの周囲を回るように、いろいろな方向からのカットが重ねられます。

何かが一筋縄で進まない、何かがくすぶっている、カットのつなぎからそういう予感を見ていて得るのですが、もしかしてもしかすると、生き返るんじゃないか?そんな風に思っているうちに、

エリオットは に歩いて画面から消えようとすると、

枯れたはずの花が開きます。そして、E.T.が蘇生したことに勘付いて、のポジティブの方向にダッシュすると、


まんまとE.T.が生き返っています。無論向きの寝姿で。

別にこのシーンでも、論理的必然というものは何も提示されていません。提示されたのは、カメラワークによる予兆だけ。

この映画が小説化されたときに、
この蘇生の原因は母船が近づいて、そこから生命エネルギーが補給された御蔭、みたいな説明が加えられたそうですが、正直言って、映画からその事を読み取れというのは無理というものです。

アーサー・C・クラークの法則というものが有って、
「未来の科学技術は、現在から見たら魔法と同じ事。今の人間に説明して理解できるくらいなら、少なくとも今の人間はその技術の初歩を実現できている。だから何も説明しない方がはるかにマシ」
というものが有ります。

E.T.についても全く同じことで、恒星間飛行を実現するような連中なら、人間の理解を超えた事をどれだけやったところで何の不思議も無い、そういうことです。「自転車空に浮かすくらいのことやる宇宙人なんだから、生き返っても不思議ないだろ」どう考えたところで、それが模範解答なのです。



あと、ぽつりぽつりと 興味深いシーンを取り上げます。
エリオットがE.T.を兄妹に紹介する場面。
兄に紹介する時には、ものすごくもったいぶった条件をたくさん並べ、ひどく時間をかけて紹介します。

そして、兄の立ち位置は 側。エリオットとE.T.の二人にとっては相容れぬ立場という事です。


それに対して、妹がE.T.と知り合う時は、いきなり から出てきて、ギャーギャーわめきながらも。瞬時にE.T.を受け入れてしまいます。

兄にE.T.を紹介するのがものすごくまどろこしかったので、同じ事を妹に対して行うとものすごくくどくなるのですが、そこをメリハリを利かせるように一息で妹の場合は済ましてしまうのですね。
その後のドリー・バリュモアのことを思うと、こんなバッサリした描写に彼女の大物ぶりの片りんを感じてしまいます。


この時のE.T.、目つきがものすごくドラえもんと似ている。

のび太の恐竜』が元ネタじゃないのか?という話があるくらいで、E.T.の体型や主人公との関係が、実にドラえもん的なのですので、そういう話を信じてみたくもなります。
ただ、藤子Fのマンガって、アメリカのSFの影響強いですから、もしかすると彼がアメリカ的なものを模倣した結果がドラえもんで、それゆえに似ていると感じられるのかもしれません。

藤子Fには、ダークな味わいのSF短編がたくさんありますが、『宇宙戦争』みたいなダークな短編たくさん書いています。

そういえば、スピルバーグの一作目『激突』の作者はリチャード・マシスンなんですが、ドラえもんの名作『独裁スイッチ』ってリチャード・マシスンの『アイアムアリジェンド~オメガマン』が元ネタなんですね。



この時のE.T.の見る方向が の方向。エリオットは、「いつまでも家にいてよ」といいますが、E.T.は家に帰ることを望んでおり、その望みを叶える事がこの物語の目的なのです。

正直、ドラえもんの6巻の『さよならドラえもん』のエピソードの方が自分的には泣けます。E.T.の場合って、少年との絆がそこまで深くないですし、家に帰りたい仲間の元に戻りたいという願望が強すぎますから、ドラえもんの時のような後ろ髪引かれる感じがほとんど無いのですよね。
それで、自分としては泣けない、そして、感動というほどの強い情感を得られない、ということになります。


E.T.』はスピルバーグが両親の離婚をどうやって受け入れたかの体験が元になっているといわれていますが、
終盤近くまで、父親を連想させるような大人の男は誰も首から上が映されません。ゾンビか首無し死体のようです。
それが、スピルバーグの少年時代に両親が離婚したことで父親像を受け入れることができなくなったことを表しているらしいのですが、

いつの間にか、科学者のおっさんが画面にしゃしゃり出るようになり、擬似父親的な役割を果たしだして、ラストのシーンでは仲良くE.T.を見送るまでになっています。

正直いって、このおっさんが物語りに割ってはいるのは唐突という感じがしますが、

E.T.という媒介を通して、少年時代のスピルバーグは自分から離れていく父親を最終的には理解して、一人の人間として認めた、その結果大人の男の人たちの姿が普通の人間の姿を取り戻した。そういう風に心理学的解釈をすることも可能でしょうが、
だから何なんだ、という解釈では有りますが、この映画はかなり陰鬱なテーマを含んでいる可能性は有ります。

それに、BGMがけっこうおどろおどろしく、ところどころホラー映画的な画面が見られます。

子供向けのファンタジーというには、ダーク要素がかなり高い濃度で感じられます。

そして、多くの人が『E.T.』の事を純真無垢な童心に響く傑作というように言っていますが、自分的には、『宇宙戦争』と大差ないくらいダークな部分にべっとり浸っている作品に見えるのですね。
あっちの作品では、それがあらわになっていただけで、こっちの作品では、猫被っていただけです。


そして、このお母さんの描写も相当変です。
兄ちゃんの友だちが、ユビサキでママのお尻にタッチしようとすると、お兄ちゃんが「止めろ」といらつきます。

夫と別れて情緒不安定で男に付け入られやすいのが、たかだか中学生でも分るのでしょう。

宇宙戦争』のトム・クルーズの家庭と大差ない崩壊ぶりを自分は感じました。

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