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をどうぞ。当ブログの理論についてまとめてあります。
映画の画面では、物語も時間も→の方向に流れます。
そして、物語の目的も →の向こうにあります。
だから、登場人物がさえぎられる事なく、→の方向に進める時には、物語が本来進むべき方向に気持ちよく進んでいることになりますから、
観客は、→方向の移動シーンを見ていると、いい気分になります。
どの方向に進むかで、気持のよしあしが決まるというのではなく、
いいシーンは →、ツラいシーンは ←と対応させておくことで、物語の流れ、画面の繋がりがよくなるといった方が正しいです。
もしかすると、映画史上最も有名な →への爽快な移動は、このシーンかもしれません。
そしてもう一箇所の自転車が空に上がるシーンでは、
空に飛ぶ前に 長々と ←方向への移動が続きます。
←方向の移動は、本来の目的地が →の方向の先にあるのですから、その目的地から遠ざかる、よろしくないものなのです。
自転車は、住宅分譲地を走る時は、大人達に追われていますので、舗装された道路を走る事が出来ません。
いわば逆境の中を延々と行くのです。
あなたはおしっこしたくてたまらない。それなのに、トイレと逆の方向に走らざるを得ない。そういうストレスフルな状況を思ってみてください。
そして、ああもうだめだというその時、
自転車の進行方向は、さりげなく →向きに変わっています。
この先んじた方向転換が、次に自転車が飛び上がる予兆として観客に提示されています。
実は、この時既に、トイレの方向に向かって走ることができているのですから、後は全力でトイレの方向に向かって走ればいいだけなのです。
でも、
エリオットは、自分の進む方向が変わったことが分かっていない(まあ、劇中の人物が画面上の右に動いているか左に動いているかは、観客にしかわからないのですから仕方ありませんけど)から、
「もうだめだっ」て感じで目をつぶって大人たちに囚われることから目をそらそうとしますが、
E.T.は別の方向、正面を向いています。彼にはエリオットとは違って観客が画面上に見た予兆の意味がはっきり分かっているように、見えます。
空に飛ぶ前まで画面の進行を ←方向に固定し、目的地から遠ざかり、状況が悪化するようなイライラ感に観客を晒し続けます。
そうして、もうダメだという限度まで、そっちの方向に引っ張ってから、一気に →に大胆に方向チェンジします。
画面の進行方向で観客を爽快な気分にさせる代表的な手法がこれでして、黒澤明の『隠し砦の三悪人』も同じ事をやっています。
E.T.は ←の向きで、地球にやってきましたから、彼らの家は →の方向にあります。
この映画の目的は、「家に帰ること」だったんです。そして、E.T.以外の地球人は、宇宙船に乗って家に帰ることができませんから、せめて「一時だけでも子供の頃に帰る」ことが観客に許された限度なのでしょう。
ラストの別離のシーンでもE.T.目線とエリオット目線が交互に映し出されます。
あくまでも二人は対等で、公平な関係でした。