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ほとんどストーリーの無い映像 戦艦ポチョムキン

映画論


映画史上の傑作といわれる『戦艦ポチョムキン』ですが、
公開されたのが1925年。

以下で使用する −−><−−等の記号、その他用語は、自分が勝手に考案したものですから、意味分らないという場合は、こちらをまずどうぞ……「映画の進行方向」

1927年公開のフランス映画『ナポレオン』など、画面を−−>に恣意的に流す事で物語を進行させるという技法ほとんど使っていない(おそらく製作者が理解していない)のですから、ポチョムキンのほうでも、そういう技術を使っていなくても不思議ないのですが、
少なくとも1922年のドイツ映画『吸血鬼ノスフェラトゥ』では、物語を進行させるために−−>方向へ画面を流す技術を使用しています。さらには、その流れが、移動だけでなく、物語の目的の進展、もしくは心理的な操作にまで及んでいると考えられます。
今日の映画とほとんど同じ事が行われています。
それが1922年。

しかし、まだその手法は全世界的でもなかったし、ドイツにおいてさえも全ての映画がその手法を採用していたわけでもなかった。
戦前のドイツ映画でもっとも有名なフリッツラング監督作の『メトロポリス』では、おそらく画面の進行方向を、物語の進展や観客の心理操作にからめるという技法は使用されていません、登場人物は奈良の大仏のように画面中央にデンと居座るショットが非常に多いです。


だからといって『戦艦ポチョムキン』の評価に傷がつくかというとそういうわけでもないのですが、ストーリーを画面の方向で語るという技法を採用しなかった事で、ある意味今日的映画のメインストリームから外れたガラパゴス的位置にある映画のように自分には思われます。


狭い船内でブルジョアの上官とプロレタリアートの兵士がオシクラマンジュウしているようなもんですから、画面の進行方向とか目的地なんか画面の中には存在しようもありません。

だから、30秒前に右傾斜の画面が来たから今度は左傾斜の画面、というように、MTVみたいな構成になっています。
敵と味方をどうやって見分けるかに着いても、その違いは軍服のみで、ここにはいい将校は存在しませんし、悪い兵士も存在しません。将校は悪い、兵士は正しい、それだけ。
更に言うと、特定の個人の視点を通しての物語でもありません。ポチョムキンの中には、主役が存在しないのです。

これとよく似たものをあげるとするなら、北朝鮮マスゲームでしょうか。

谷村美月のアイドルビデオの回や椎名林檎のMTVの回で既に書いていますが、画面を恣意的に一方向に流す事で画面が物語を語るようになるのですから、それをやっていないという事は、画面が物語を語っていない、ポチョムキンの場合はただエネルギーが暴発しているだけにしか見えないのですね。
誰に共感していいのか分らない。誰の視点を利用して観客が物語の中にもぐりこめばいいのか分らない。
だから、敵と味方の区別は服装だけ、そうでない民間人では、悪い奴は、トコトン悪そうな面構えの演技をしますし、同情されるべき悲惨な境遇の人物はひたすら痛々しい顔をして見せます。


そういう事をやっていると、必然的にカブキの非現実的演技に似てくるわけです。今の映画が、少しでもリアルであるように観客に感じさせようと努力しているのと比べると、いかにポチョムキンがガラパゴス的かがわかるでしょう。

そして、『僕の村は戦場だった』の回で書いていますが、ポチョムキンみたいな映画をお手本にして西側の映画見なかったら、ソ連映画って、画面の流れがわけ分らなくなるのが当たり前です。

何度も書いていますが、こういう手法ってその後の世界の映画に引き継がれていなくて、MTVとかにかろうじてその末裔を見ることが出来ます。

ただそれでも、オデッサの階段の場面だけは 兵士が −−>に動き、
間人が <−−の方向に講義します。
このオデッサの階段の僅か6分間だけは、普通の映画と同じような映画の流れ、つまり 敵と味方のサイドをはっきり分けるという表現になっています。

ただし、西洋の文字は −−>に書くこと、そして利き目の理由から普通の人の焦点は向かって左側にかたよりやすく、それゆえ −−>の方向に目を動かすのが普通である事、
それらの理由から、−−>
の動きがポジティブであると現在の映画では規定されているのですが(日本映画を除いて)
ポチョムキンでは、乳母車が落ちていくコースが −−>の方角です。普通は、縁起の悪いネガティブ方向<−−に落ちていくべきだと思うのですが。

そのせいでしょうか、87年公開の『アンタッチャブルズ』では、オデッサの階段のパロディがありますけれど、乳母車は本家と逆の方向 <−−に向かって堕ちていきます。

今で言うところの、これが普通の映画というものです。まあ、普通だからいいってもんでもないんですが。

自分は別に『戦艦ポチョムキン』を酷評しているのではありません。ただ、ある点に於いては、ポチョムキンは、ガラパゴス的であるという事であり、大して現在の映画に影響を与えていないということです。