2001年宇宙の旅2

なぜハリウッドの大作映画が精子卵子の結合について延々二時間半も語らねばならなかったのか?

それは人間にとって、自分の生命の来歴、つまり受精を追体験することが深い満足感を与えてくれるからであり、それだけのために人間は歴史上多大な努力と資本を投じてきた。
最高の技術と資本と労力を持って、子宮を模した寺院を建設し、その運営の為に国家を何度も傾けた。

そうして人類が今までやって来た事の累積の膨大さに比べれば、天才監督と天才作家の才能を浪費し、百億や二百億の制作費を浪費したことはなんでもないように思われる。

まあ、それはいいとして、
現代人は、もう宗教を信じていない。少なくとも私の知っている限りの人には誰一人いない。彼らが信じているのは宗教の持つ社会的機能であり、信仰心はほぼ無い。

そうなると、過去のように精子卵子のランデブーを追体験してみようという宗教イベントもほとんど行われなくなる。行われたとしても、かつての様に真剣に扱われなくなった。

しかし、生まれる前のこと、自分が精子卵子に分かたれたままであり、さらにはその二つさえも発生する以前のことに思いめぐらすことは、人として異様な満足感を感じさせられる。この点に於いて私が狂っているというきはさらさらしない。

こんな時代に、宇宙と子宮の類似性がどうの、精子がどうした卵子がどうだ、生命の始まりがどうだ、ということに思いをはせさせる効果がある点で、「2001年宇宙の旅」は現代人の為の神殿であるといえるかもしれない。