ドーム 子宮の象徴として延々と使われてきたもの

海炭市叙景」のなかで、小林薫プラネタリウムで働いていますが、
自分としては、それだけで、この映画の狙っているものが何なのかピンと来ます。
ピンと来るかどうかは、おそらく感性の問題ではなく、西洋文化に関する知識の量によるものと自分は思っています。




歴史上最初の大規模ドームは、ローマのパンテオンで、
ローマ人の信じる神々と、彼らに従属を誓った周辺民族の神々を祭る為の寺院でした。

神々は空に住んでいる、天国は空にある、それ故に、神々の居場所を示すには、空の形に似せた半円球のドームが作られる必要があったわけです。

そして、
ローマがイスタンブールに遷都した後、そこに世界最大のドーム寺院が建築されました。

ギリシャ・ローマの神話からキリスト教へと、彼らの信仰は移り変わっていましたが、半円球のドームを空と見立て、そこに住まう神々しい存在を描くことは、ローマよりそのまま継承されました。

天国の中心にいるのは聖母であり、その御子であります。



宇宙の中心が聖母である、それならばドームとは、母体なのか?宇宙とは子宮と繋がっているのか?
そのように連想が働くのですが、イスタンブールの聖ソフィア寺院は、女性の体を象徴したイメージに彩られています。

内側から見上げると、ドームの内面は宇宙の似姿なのですが、外から眺めると、ドームは妊娠した女性の腹部の様でもあるのですね。もしくは、幼子を養う乳房のような丸みを帯びています。

このデザイン、このイメージが、如何に人類の心を強く捉えたかについては、ドーム建築がイタリアルネッサンスイスラムモスク、ロシア正教の建築、それにタージマハルなど、数あまたの模倣、追従を生んだ事がよく示しています。

残念ながら、石造建築が稀で木造主体だった東アジアは、その影響を受けることがありませんでした。

子宮の中に宇宙が存在し、その中に神々が宿る。そういうイメージも、東アジアの文化の伝統の中にはほとんど無いでしょう。



近代になり、宗教が社会の相対的地位を低下させると、ドームのような巨大建築は、非宗教施設に使用される事となります。
巨大な室内空間を作成するには、都合のいい構造だったのでしょう。

オペラ座やコンサートホールに、ドーム建築が使用されました。

また、その実用性から、給水塔やタンク、工場にもドームが使われています。

残念ながら、日本人にとってドームとは給水塔やタンク、はたまた東京ドームのイメージであり、

宇宙や子宮を瞑想する場所、もしくは宗教の代替物としての芸術の棲家としては、思い起こされる事が、ほぼ無いであろうことです。

映画に於いても、「理由なき反抗」のクライマックスの舞台が、プラネタリウムの中ですが、ヨーロッパの一定レベルの教養のある人なら、すぐにその意味がわかるはずですし、一定レベルの教養の無い人でも、なんとなくその意味するところが伝わっているはずです。

ここ、今自分のいる場所は日本であり、そういう事は、分らなくても普通なのでしょうが、
しかし、映画を生んだヨーロッパは、前近代の絵画の時代から、画面上に象徴を配置して、その意味するところを幾何学の数式のようにもてあそぶ伝統があります。
日本だと、すぐに八百万の神によりかかって、無意識トランスの世界に逃げ込んで、思考停止判断停止を行い、そこからやり直す、というのが常道ですが、

西洋の文化は、幾何学的思考をしつこくしつこく繰り返します。

だから映画の伝統のなかには、象徴を映して、その意味を画面の流れの中で考えさせるという技法があるはずですし、プラネタリウムやドームを宇宙や子宮の象徴として使用した例も「理由なき反抗」以外にもあるでしょう、きっと。

しかし、なんどもいうように、ここは日本であり、「海炭市叙景」の観客はほとんどが日本人であるゆえ、プラネタリウムが子宮であり、母親の象徴であり、
母親イコール故郷から逃れる事も出来ず、さりとて素直に愛する事も甘える事も出来ないというイメージを普通の日本人は、小林薫プラネタリウムから感じ取れないといけないのか?どうなのか?というのは難しい問題だと思います。


日本では、一部の西洋かぶれのインテリにし分らない表現なのだから、嫌みったらしい教養主義としてこういう表現は排除すべきなのか?
それとも、象徴をもてあそぶ態度によって、西洋文芸の価値は高められたのだから、日本人もそうなるべく地道な努力を今後も続けていくべきなのか?

けっこうやっかいな問題だと思います。


谷村美月主演「ユビサキから世界を
わたし達は死にたいわけじゃない、ただこれまでの自分を乗り越えて新しく生まれ変わりたいだけ。

ドームが画面に映っているというだけで、イメージはこのように発展する。
しかし普通の日本の中高生には、それは分らないだろうな。






海から見た函館山。膨らんだお腹、赤子を養う為の乳房、ドーム建築とおなじ役割を映画の中でになっている。