がんばっていきまっしょい

よくある映画のお約束事の一つですが
この映画の場合、画面逆行は、時間をさかのぼる意味で使われます。

以前、NHKBSで 「がんばっていきまっしょい」が放送された時、 2ちゃんの「実況」をみながら見ていたのですが、

ボート部の古いクラブハウスは、思い出を象徴したものであり
その扉を開いた瞬間から、懐かしい昔の思い出の世界に入っていく、

という指摘が書き込まれ、なるほどな と感心したことがあります。


さっき 「がんばっていきまっしょい」を見直したのですが、今の私は上の2ちゃん上の誰かの指摘に100%賛同しております。

以下の内容を読まれるのでしたら、こちら(映画の抱えるお約束事)とこちら(映画の抱えるお約束事2 日本ガラパゴス映画)をどうぞ。当ブログの理論についてまとめてあります。


なぜ、最初のカットが <−−であり、



それに続く、扉を開くカットがーー>であるのか、 ということですが、

二つの移動は、別の意味を示します。

最初のカットは、 ただの移動場面 2番目のカットは 時間をさかのぼるカット  そのように考えるべきでしょう。


カナリア」のときに書きましたが、
映画では、目的地に向かっている限り、同じ方向で移動がなされます。

ベクトルを切り替えるのは、目的地に近づく・遠ざかる の違いを出す時が一般的です。


そして、「がんばっていきまっしょい」の冒頭の「ベクトル切り返し」は、移動の目的が何なのか、まったく分からない状態でなされる切り返しです。目的地からわれわれが遠ざかっていると考えることは難しく、
また上BGMが一気にノスタルジックに流れ出す事を考えても、その刹那に時間の逆行が開始されたと考えるのが妥当なようです。



海を眺める田中麗奈が、「ボートってええな」と認識し、その方角に跳躍、走り出していく。その場面をスローで描写する。

このシーンをもって、時代逆行が完了したとみなし、


以後通常の映画進行にバトンタッチすることになります。

小説の世界では、物語を時間に沿って語ることを拒否した作品が記念碑的に扱われ、その過大評価が、ある意味文学を殺してしまったのですが、
映画では、時代の逆行を表現するのは、とても簡単だったのです。

ただ、進行方向を逆に動かせばそれで時間の逆行を表現できたのです。