「コドモのコドモ」4 麻生久美子

この作品に否定的な人たちというのは、
コドモに若年出産推奨するような作品ってどうよ? という立場であり
肯定的な人、もしくは擁護する人というのは、
どうせフィクションなんだから、構わないだろ?表現の自由だろ?という立場です。


どうせファンタジーなんだから、ロビンソンクルーソー読むのと同じ感覚で鑑賞したらいいじゃない、てことなんでしょうが、

麻生久美子の役の立ち位置が、やたらとリアルな感じがします。

都会の大学を出たリベラルな信条の持ち主の女教師が、田舎の小学校で周囲の反対を押し切って、性教育の授業をおこなう。

「勃起したチンポとヴァギナをくっつけて…」と授業で話しますが、

じゃあ、それで子供たちから賞賛されるか、子供たちが味方についてくれるかというと、
ぜんぜんそうならず、
周囲の反対を押し切って性教育を始めるような強情さが祟り、子供たちからも総スカン状態の学級崩壊。

性教育をリベラルに進展させていけば、子供に受けるのかというと、おそらく、この作品のようになってしまうのが現実だろうな、と自分は思いました。

そういう視点からすると、この作品の麻生久美子の演技はものすごく成功しているような気がします。

ただ、だから何なんだという作品ではありますが。

観客の感情移入を呼び起こすには、リアルさの構築が絶対に必要なことでありますし、その点を大きく無視している点では、大多数の観客の嫌悪感を呼び覚ますことは当然でしょう。




思うんですが、子供に性教育を実施して、
「人間ってエロい事大好きだから、そういうことばっかり考えています」とか、「大人の先生でも小5のパンツみたいとか思ったりするよ」みたいな本音の炉悪趣味に走らないで、
「男の人と女の人が愛しあって、互いに思いやりを持ってコミュニケーションを」とか言っている限り、

最後の行き着く先は、
相性の不一致で離婚した家庭の子供が疎外感を受け取るだけとか、
出来ちゃった結婚で、その後仮面夫婦を続けている家庭の子供が、自分の家庭を必要以上に追い詰めることになるだけでしょう。


麻生久美子性教育の授業に関しては、そういうたどり着く先のない欺瞞をひしひしと感じますし、

そんな無駄なことやってんだったら、とりあえず、映画の中だけでも、出産して見せたらいいんじゃね、そのほうが性教育の質としては上なんじゃね、ってことなのかもしれません。

でも、しかし、この映画は、
鶏とかウサギの出産の観察のように、11歳の生物学的出産を観察して見せただけなのだろうか?
と感じられます。
現実的な問題を一切描かないとは、ガラス張りの中の生態観察以上のものではない、自分はそのように感じました。


人類の歴史上、性教育が楽だったためしなんか一度もないでしょう。
セックスを管理することは、社会を管理することの基本であるゆえ、
人類社会の発生に由来する問題なわけです。
映画一本とって、それに着いて感想を述べ合うくらいで解決するていどの問題ではありません。