おにいちゃんのハナビ」6

この映画の主題歌を歌った藤井フミヤが「こんなに泣けるのは火垂るの墓以来」と言っていて、


「こんなに泣けるのは火垂るの墓以来」

このフレーズは、妙に説得力がある。



泣けると言えば、映画の1時間20分過ぎの高良健吾の泣きっぷり、
これ、ほんとに泣いてる。

それまで引きこもりで、なんとかバイト始めたにしても、やっぱり妹のいいなりだった「おにいちゃん」が、成人式の日に2週間前に死んだ妹からのビデオメールの転送を受ける場面。

何やったらここまで泣けるんだろう?高良健吾なに思って泣いてたんだろうな?といろいろ考えてみた。

「あーっ、おにいちゃんのハナビ見れるといいな」と、言った妹はもういない。
せっかく努力して人と付き合ってハナビ揚げる成人会で活動してるのに、そのハナビを妹が見れないなんて…
残念。


普通、誰でもそこまでは思うのでしょうが、

でも、そんなありきたりな気持ちを表現しているのだけだったら、
所詮、赤の他人のヤラセ演技じゃないですか、
一般の観客、もらい泣き出来ます?


自分も、泣きましたけど、いまだに自分でも不思議なんですね。
何で泣けるのかが。
別に谷村美月死んだわけじゃないんですし。
映画の中で演じる役が死んだだけなんですから。

でも、泣けるんですね。

それは、つまり、多分自分が、必要以上に高良健吾に感情移入して、彼の演じる役と共に泣かずにいられなくなっていたからでしょう。

単に、妹に花火を見せられない無念さ以上の感情を彼が伝えていないとしたら、多分、観客は、泣けない。

何かあるはずなんですよ。
そして、そういういろいろな感情がこの「お兄ちゃん」の胸に去来することを想定して、高良健吾はそれを内面で演じているはずなのですね。

口に出す訳じゃなく、只泣いているだけですから、自分は想像するしかないのですが、

死にたくない、とか もっと生きたい、とか、そういうことを素直に言う代わりに「おにいちゃんのハナビ見れるといいな」とだけ言う、女の子の健気さですか、
自分は、そう感じましたね。

役に立たない優しさ、そういうものは、なぜか一番人を泣かせる。



この映画のポイントは、この高良健吾の大泣きする場面に尽きるでしょう。

ここで、観客は完全に彼に感情移入して、一緒に泣くわけです。
そして、それから先の物語の展開に完全に乗せられてしまう。

「おにいちゃん」は死んだ妹の為に出来るだけたくさん花火を揚げようと、バイトに精を出し、花火師に弟子入りするのですが、

もう、ストーリーに多少のアラが見えようともぜんぜん構わないんですね。

ただただ目的に向かって行動する主人公に共感するばかりです。

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